2007年8月1日
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「お陰様で、、、」
 
(健太郎/1958年生/埼玉)


生まれて初めてギックリ腰というものになった。重いギターケースを抱えて、初めて埼玉南SP練習会へ参加したのが原因ではない。猫のトイレを掃除して中腰になったというのが高尚な原因。しばらくギターを弾くのも辛かったが、何とか歌は歌えた。

数年前、ノドの病気になり手術のため入院した。最近声がかれるので、再発しているようなのだが、ヘタだが歌は歌えているしギターも弾けている。

近頃は老眼が進み、電車で読む文庫本が苦痛になった。家の近くのダイソーで老眼鏡を買った。昔は何の苦労もなく見えた歌本の歌詞が、100円で昔の通り良く見える。

深夜放送で谷村新司とバンバンの天才秀才バカシリーズを夢中で聞いていた高校時代。ギターを本格的に始めたのも高一の頃だった。髪を長くし、ベルボトムジーンズの裾を引きずって歩くのが格好いいと思っていた。底の厚いスニーカーも流行っていた。

S&Gの歌詞の深さに夢中になり、故郷秋田と似た景色を歌うNSPの歌に共感し、失恋した冬にはふきのとうを聞いては涙していた。

田舎では本物のマーチンにはなかなか会えず、二光通販のカタログを見てはせめてトムソンが欲しいと憧れ、2万円の国産ギターのロゴを消してマーチンと描いては喜んでいた

17年前に新品だが憧れのマーチンをやっと手に入れたのだが、一緒に弾く仲間も既に遠く、たまに手に取るだけというギターには可哀想な状態が続いた。そんな自分が生ギターとまた向き合うようになったのは、オヤ応の存在を知ったのがきっかけ。同年代の皆さんがいろいろなことと戦いながらもギターとの関係を大切にしている姿を拝見し、たくさんのパワーをもらった。

過酷な通勤ラッシュの途中でもホームにも落ちることなくクルマで外出しても事故にも合わず、今こうして何事もなくギターを弾きながら一日を終えることができる。子供も少しは成長し、家庭での居場所も少しずつ無くなる自分に同情しつつ、御縁があってオヤ応の仲間にして頂いたこと、お陰様でギターが弾けていることに感謝をしている。




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