2007年8月10日
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「やっとD-45にたどり着きました。」
 
(いり庵/1951年生/兵庫)


こんにちは! いり庵です

さて、私のギター遍歴をご紹介いたします。

1967 以前は楽器といえば、「スペリオパイプ」で「アマリリス」を小学校で吹くぐらいの経験しかありません。
 
1968 高校で所属していた軟庭部の送別会があり、部員3人でバンドを組みました。たいした練習はしませんでしたが、確か、PPM、ピンキーとキラーズを演奏しました。その時のギターは鈴木の8000円のガットギターでした。今はありません。
 
1970 浪人中はS&Gの「ギフトパック」という2枚組のレコードばかり聴いていました。
 
1971 大学に入学し、フォークソング同好会に入りました。初めのうちはガットギターにスチール弦を張っていましたが、神戸の楽器屋で30本のFG-350の中から1本を先輩に選んでもらって購入しました。

大学では、五つの赤い風船、赤い鳥、ビートルズ、アメリカ、ビージーズ、ガロ、James Taylor、S&Gなんかをやってました。コピーするためにオープンリールのテレコを半分の速度に落として何度も聴いて練習していました。ポールサイモンと同じフィンガーピッキングができたときは嬉しかったな! 

学校の帰りに梅田のN楽器に立ち寄り、D-28をよだれを垂らしながら見ていました。32万円だったかな?そのN楽器の「オバチャン」には当時も最近も色々お世話になりましたが、大変残念なことに先日亡くなられました。
 
1973 N楽器とは別に個人的に楽器販売をする人がいまして、その人経由で「ワケアリ」1972年製D-28をかなり安く手に入れることができ、今も持っています。安いといっても学生には大金ですので、アルバイトして、手持ちの貯金は全部はたき、FG-350も友人に売りました。
 
1975 某電機メーカーに入社し、しばらく楽器はお休みしていました。
ところが、会社の寮のビヤパーティーで出し物したら、飲み代をタダにしてくれると言われ、会社の友人3人と練習してバンド演奏しました。風、S&G、PPMをやりました。そのころから、信州のペンションに、そのバンドメンバー、家族と毎年2泊3日で泊まりに行くようになり、テニスをしたり、夜遅くまで酒を飲みながら楽器演奏を楽しんでいました。

そのペンションのオーナーは私と同じ年で、音楽演奏が「売り」のペンションです。このオーナーは70年代のフォークソングは「お手の物」です。(^^)v子供が生まれたあともみんなで行きましたが、だんだん自分で演奏しなくなり、オーナーに演奏してもらって歌う生オケモードになりました。
 
2005 S&G再結成のDVDを見て、また「消えていた情熱」が蘇りました。
D-28が有るのにポールサイモンが持っているOM-42がとても欲しくなり、N楽器に行って購入しました。本当はOM-42PSというタイプですが、高いし、売ってませんからね!ANJIに再挑戦したり、押尾コータローの曲を練習しました。その時は「これで最後」と思ってました。。。。

D-28もガタが来たので、リフレット、ナット、サドル交換、ブレーシング再接着してもらいました。
  
2006 入社以来自社株をコツコツ購入していたのですが、急に値上がりしたので、その一部を売却し、エイヤ!で「本当に最後」のつもりで、D-45VをまたN楽器で買ってしまいました。

岡崎倫典さんの曲も練習し始めました。今年の夏はそのD-45Vを持って信州のペンションに行ってきました。大学時代の仲間とは時々集まって宴会していますが、演奏はやっていません。ただ、何人かは私と同じようにギターを買って「個人練習」しているみたいです。また最近、高校時代の友達とも練習を始めました。

、、ということで、D-28、OM-42、D-45Vをまんべんなく弾いて遊んでいます。(「Martin Guitar 自慢」2006年11月22日で掲載してもらっています)
 
さて、この先どうなる事やら、、、みなさん、今後ともよろしくお願いします。


追記:昔は、お金がないのでサドル側で弦が切れたら再使用していました。ナット側で切れたら仕方ないのでバラ弦と交換していました。その時に使う予定で買っておいた弦(写真)が今もあります。最近は贅沢になり、音が悪くなったら、切れなくても弦交換するので、このバラ弦はこれからも使うことがないでしょう。。。これって、「ビンテージ弦」ですねぇ〜(さすが30年以上経つとボール部がくすんでしまいましたが弦は錆びていません!)


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