「目立ちたがりの再発進」 |
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(大魔王/1955年生/東京) |
0 プロローグ
我輩のエッセイを読みたがるとは、そなたも暇であるな。まあ良かろう、語って聞かせると致そう。断っておくが、長い割には起承転結もオチも何も無いからそのつもりで読むのじゃ、良いな。
1 あこがれのマーティン
第三惑星風に申せば48歳のころである。魔暦48年(西暦2003年、平成15年)5月、我輩はとある楽器屋のD−28フェアとやらに出かけた。実はこの年の4月、末娘がめでたく第三惑星における中学を卒業、3名の娘の義務教育を終えた我輩はこの星における社会的責任がひと段落致した。そんな立派な我輩へのご褒美として、そういえば若いころにあこがれたマーティンとやらを見物に参ろう、気に入れば買ってしんぜようという程度の軽い気持ちで出かけたのである。結局買い求めたのはOOO−28であったが。
2 楽しかったあのころ
話は遡るのであるが、20代前半のころのことである。
遊びの一団、つまり、キャンプやバンガローなどに泊まり、テニスやアーチェリー、サイクリングなどに興じる一団があった。その中で我輩を含む2〜3名がギターを持参致し、キャンプファイアーを囲みつつ歌う。ギター持参者はその伴奏担当である。
コードを書き添えた歌詞カードで歌っておったのである。当時はパソコンなどは無くコンビニのコピー機も無く、歌詞カードのコピーと申せばガリ版か湿式の青焼きコピーであった。それでも歌詞カードを作成致す作業もまた楽しかったものである。
3 当時の音楽観
我輩のギターはYAMAHAのFG−140と申すいかにも安っぽいギターと、その後手に入れたヤマキのYM―1000−12とか申す12弦ギターを使用致しておった。
レコードをコピー致そうなどと言う気は全く無く、特定のアーティストに嵌る事も無く、皆で集い歌えばそれで楽しかったのじゃ。ギターの音が良いの悪いの、音楽性がどうのこうの、リズムが・音程が、などどうでもよく、どのような歌もピックでかきむしり伴奏致すだけでよかったのである。皆で歌うことが何より楽しかった時代であった。
4 遠ざかる音楽
20代も中盤になると女どもが結婚などを理由に少しずつこの一団を離れ、いつとは無く解散宣言も無くこの遊び軍団の活動が衰退致した。それに伴い我輩のギター熱も徐々に下火になり、28歳で父となった後は子育てが楽しくなり、いつの間にかギターは埃を被ったまま放置をされることと相成った。
余談であるが、その後の我輩は少しオーディオに嵌ったのち、いわゆるビデオパパとなり、ビデオカメラに嵌って娘どもを撮り続けたテープはダンボールに一箱ほども残っておる。編集用の機器やデッキを買い漁ったものの、結局一本たりとも真っ当に編集致したものがないのは情けない限りである。
5 思い出した青春
義務教育までは親の責任、その後は本人の責任と娘たちに教育致して参った。末娘が義務教育を終えた魔暦48年春、さてこれから何を致して遊ぼうかと考えた末、ギターでも買ってみるかと思い立った次第である。
昔はコードを押さえピックで掻き毟るだけの奏法しか知らず、それで事足りていたのであるが、せっかく買い求めたマーティンである。昔の歌本を今一度めくれば、なんと!、アルペジオとかスリーフィンガーとかいった奏法が書き記されておる。
6 四十の手習い
そのような奏法をせずとも楽しかった昔であるが、四十の手習い、練習を致してみるとなんとかできるようになり、それで歌えばまた楽しいではないか。若いころの楽しさが蘇って参った。メトロノームを買い更に練習致す。ますます楽しい。ただ、メトロノームと我輩はかなり意見が合わぬ。3年を過ぎた今でもメトロノームは我輩に逆らう。なかなか強情な器械である。
7 目立ちたがり
大魔王などと申すハンドルをつけるところからして、察しのとおり我輩は目立ちたがりである。楽譜は読めずリズムも音痴であるが、そのようなことはお構いなしに、地元の祭りにエントリー致し、大魔王様特別枠で時間を割り当てられ、我輩の演奏が響き渡るのである。ちなみに、大魔王様特別枠のことを地元の民は抽選と呼んでおるらしい。
気持ち良い。聴衆の迷惑はこの際どうでもよく、ステージの上にて、きちんとしたプロのPAと照明の下で演奏致すと、とても気持ち良いのじゃ。
8 エピローグ
ということで、しばらくは止められぬであろうな、この快感。
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