2007年11月19日
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「Woody Bellとフォーク」
 
(Woody Bell (NEZU、NEKO)/1950年、1951年生/静岡)



私達Woody Bellは、今第二の青春を謳歌しています。
この年令でこんなにわくわくできる趣味を持つことができて、しかも私達の歌を聴いてくれる皆さんがいるということをとても幸せな事だと思っています。

30年以上も前に私達は、同じフォークバンドの、大学の先輩後輩として出会いました。これが私たちの第一の青春です。「何のために学校に通っているの?」と問われれば迷わず、フォークのためという程のフォーク三昧の日々でした。それではさぞかし上手だったのでしょうねと、言われそうですがそれはまた別の話ということで、とにかく学生時代のほとんどの時間は、フォークの為にあったと言っても良いかと思う毎日でした。

とにかく楽しかったのです!!!歌さえ歌っていられれば満足でした。若いということで怖いものなしの感覚もあったし、周りの環境もとても恵まれていたと思いますが、何回かコンサートも開くことができたし、地方テレビ局のアマチュアフォークグループ向けの番組(当時はこんな番組があったのです。)で、2曲歌う経験もさせてもらいました。今から考えると冷や汗ものですが、私達にとっては宝物となる経験でした。

また、同テレビ局が長崎屋デパートで、アマチュアグループの発表する場を作っていたのですが、私達もそれに出させてもらいました。歌った歌がジョーン・バエズの「朝日のあたる家」でした。その時のゲストがビリーバンバンでしたが、彼らの私達に対するコメントは、「どうしてこんな曲をあえて選んだのか。放送禁止になるような曲を選ぶ見識を疑う…」というようなもので、私達の演奏に対してのコメントは一切もらえなかったこともありました。今となっては却って悪い印象ではなく、そんな時代もあったのだな―と、昔を懐かしむ思いです。

NEKOが大学4年、NEZUが勤めて1年目に二人だけのコンサート(正確に言えば一部と二部の間に仲間の何人かにも演奏をしてもらったのですが)を開催しました。名づけて「ねことねずみフォークコンサート」。当時は、今でいうライブ会場などなく、文字通りコンサート会場しかありませんでした。今ではもうなくなってしまった県民会館の大ホールを借りて、コンサートを自分達だけで企画しました。舞台に吊るす看板も自分達で手作りし、チラシやパンフレットも一番安上がりの黒白2色刷り(黒字に白抜きで、自分達はちょっとおしゃれだと思っていましたが)で、NEZUの友人が勤める印刷会社に格安でお願いして作成しました。楽器の運搬も友人たちが軽トラックで協力してくれ、本当にみんなの協力のおかげでできたコンサートでした。

私達バンドはメンバーがいろいろ変わったりしましたが、第一の青春時代の最後のコンサートは学外のメンバー2人を加えての4人バンドでした。タイトルは、「Old Fashionable Folk Song Concert」でした。この当時から、もう私達バンドはその時代よりも古い歌を歌っていたのですね。

この後、結婚し双子の子供に恵まれた事もあり、自分たちの趣味を楽しむ余裕は全くなくなりました。歌ったのは子守唄として歌った「シャボン玉」ぐらいでした。そんなところへ最後のコンサートをした時のメンバーの一人から「もう一度集まってフォークやらない?」との1本の電話が入りました。ちゃんと声が出るだろうかという不安もありましたが、もう一度フォークを歌えるという喜びが体の中で爆発しそうでした。4人とも同じ市内に住んでいたという幸運もあって週1回の練習が始まりました。これが第二の青春のスタートでした。

今までのモノトーンの生活が一気に総天然色に変わりました。みんなで集まることが楽しい、練習することが楽しい、歌うことが楽しい、そして、時々いろいろな人たちに演奏を聞いてもらえる事がうれしいのです。ある時、いつも練習している公民館で、地域の小学生の子供たちに「Puff」を歌ったのですが、キラキラ光る瞳で真剣に耳を傾けてもらってとてもうれしかったのを覚えています。

そして活動を再開して4年後、いろいろな事情があり、現在Woody Bellとして夫婦で演奏しています。このオヤ応のSP静岡に数か月前から参加させてもらっていますが、新しい方たちと出会うことができ、刺激も一杯もらって、また新しい展開が開きつつあります。私達と同じように夫婦で活動されていて、しかも、もっとずっと先を歩んでいる方達のことを山下さんから紹介していただいたり、またエッセイで読ませていただきました。とても足元にも及ばないと思いますが、目標としてお手本としてあこがれています。いつかお会いできたらいろいろなお話をしてみたいと思っています。

私達の将来の夢は、二人がおじいさん、おばあさんになった時、自分たちと同じ年代の方々がたくさん集まる場所で、皆さんに私たちの歌を聞いてもらえたらなーというものです。まだまだ長ーく歌い続けたいと思っています。私たちも健康で元気でいなければ夢がかなえられません。現在私達の持ち歌は英語の歌が多いので、皆さんに楽しんでもらえる日本語の歌をもっと増やさないといけないと思っているのですが、仕事が忙しかったり、親の世話があったり、当面のライブなど目先のものに追われていたりでなかなか新しい曲に手をつけられない状態です。でも、歌詞を覚え、ギターで指先を動かしと自分達の老化防止にはフォークはとても力を発揮してくれていると思っています。これならずっと100歳まで、フォークを歌い続けられるかな。




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