2008年1月15日
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「2007年、50才のルーキー year」
 
(ルーキー/1957年生/香川)


音楽活動での私のネームを「ルーキー」にしたのは、50才になった2007年、私が、いくつかのことをはじめたからです。そのひとつが「人前での演奏」。ギターです。

32年ほど前、中学から高校時代、私は4つのバンドを同時に持っていました。

jazz研究会
私の高校に伝統あるjazz研究会というサークルがありました。私はウッドベースにチャンレンジし、8千円で「日本楽器」のアルトサックスを買い、結局、やっぱりギターに落ち着きました。ただし、レパートリーは1曲。ウエスモンゴメリーのオクターブ奏法でやっていた「Softry as morning in sunrise」だけ・・。
ジュリーバンド
当時、沢田研二がソロになって、ガンガンヒット曲を飛ばしていた頃。仲間にヴォーカルの上手なヤツがいて(結局、上京して声優として活躍!)彼を中心に、井上孝之バンドのつもりで、バックをやってました
ハードロックのバンド
レッドチェッペリン、ストーンズ、グランド・ファンク・レイルロードなど。私はアコースティックギターで、「天国への階段」と「悲しみのアンジー」だけ参加。YAMAHAポプコン広島大会で、テープ審査96本中の20本かなにかに、まず通過。その中から8バンドの中に、通過。予選ライブに出て、落選。ということで、ベスト8進出でした。
「隠恋慕」
これまでの3つのバンドのバンマスをやっていたのは、実は、このバンドのために、イケてるギターや、しっかりとしたドラムスやうまいベースの連中をつかまえること。で、私がやりたかった、「はっぴいえんど」のコピーバンドが、このバンドです。私は「大滝詠一」役。
 
この4つのバンド以前に、中学3年に初めてバンドを組んだのが、ヘンテコな編成。バイオリンの好きな先輩に集められて、ギター、ベース、ドラムスに、バイオリンという編成。演奏曲は、なんでか「赤色エレジー」と、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング。私は「二ールヤング」役で、「サザンマン」とか「Hellpless」とかをやってました。

それ以前に一度、2歳年上の兄と、ふるさとの尾道で、何かのフォークコンテストの尾道予選に出ました。審査員に六文銭のギターの方が来ていたような・・
ただ、YAMAHA主催のそのコンテストで私と兄がやったのは・・1970年に復活のテレビSHOWに生演奏で出演したエルビス・プレスリーの「ラウディ・ミス・クラウディ」。アコギ2本での、ロッカバラードでした・・もちろん、六文銭の審査員から「これは、対象外の曲ですよね・・・」的なコメントをいただき、落選。

10代の多感な頃のバンド活動。人前に出ることに何の疑問もなく。とにかく「したいことを、していた」ストレートな時代。

で、50才になった2007年、人前で演奏することにしました。

私の仕事は、ずーーーーっと、いわゆる「裏方」という仕事でした。出演者を立て、主催者の語りたいことを、あれこれの手練手管で実現する。本番のときには、舞台袖や調光室や、客席最後部に立っている。Webを始めてからもプランをし、プロデュースをする。広告、プロモーションの仕事でも、私そのものはデザインをしたりコピーを実際に書くクリエーターではなく、クリエィティブディレクターであったり、プロデューサーであったり。そういう「仕掛ける」側の仕事でしたから。それが好きでしたし。

で、2007年、半世紀。
で、いっちょ、人前で「自分そのもの」を出してみようかと。

5月・・仲間内の送別会ライブで、前座で32年ぶり、演奏。
7月・・初めて入った「海人」で、事前準備なしで1曲半、反省。
9月・・「グラファン」の20周年ライブに、前日お店に行ったときに言われて、出演。少し、練習の成果でるが、同録されたCDを聞いて・・・再度、奮起。
10〜12月・・「戦うオヤジ応援団」というNPO活動に遭遇。四国SPのお店「slow step」に、恐る恐る、ネットだけ見て思い切って参加。3回、「練習会ライブ」に参加。場数を踏んで度胸を稼ぐ。
12月14日・・「緋色天幕」ライブに、きちんと参加。天才肌ミュージシャンの店主のカフェで、2,3ヶ月前からの予定。場数を踏んだ少しの進化を自分でも実感。ちょこっとづつでも、前進。演奏が終わったあとに、見知らぬ観客2名から、「よかったですよ」と、わざわざ声を掛けていただいたことに、感激。これも初体験。それも30代前半の若い?男性サラリーマン演奏者と、熟年夫婦で来場していた奥様の方。素朴に、ウレシイ。
12月23日・・再び「グラファン」。武田オーナーが快く声を掛けてくださいました。ここでの演奏がかなり、予想外に「大うけ」状態。手拍子、もっとやれコール、一緒に歌われてしまう・・、合いの手まで入れられる、という「ナマの観客の反応」をこれまた初体験。ただ、私はアウト・オブ・リズムで、自由奔放に演奏するスタイルなので、手拍子とかが、かなり邪魔。笑。歌いながら「やりにくいなぁ」と愚痴りながら進行。2,3曲の予定を6,7曲やりました。感謝。
12月24日・・「Ruff House」クリスマス「パイ投げ」ライブに。自分の曲を1曲で、もう1曲はクリスマスSONGを、という掟。前日の「グラファン」は年齢層も少し高めだったけれど、このお店は私が好きで「音楽的には」尊敬している地元ミュージシャンが店主。ルーキーイヤーの最初のステージを経験したお店でした。
12月29日・・Slow step年忘れ「弾き収め」忘年会。しっかり楽しませていただきました。

2007年、50才のルーキーイヤーに実現したことは「ライブ出演」でも、本当の夢は、3,4年前から周りに公言をしていますが、”ストリートで演奏すること”そう、オヤジ・ストリートミュージシャンです。

酔っ払いたちがヨロヨロ歩く夜の丸亀町や南新町の隅っこで、若い連中に混じって、ストリートでパフォーマンスしたい。まだ少し足りない「きっかけの勇気」がいつか舞い降りることを、自分自身に期待しながら、楽しみに、待っていることろです。

2008年春、四国・高松で「オヤジ・ストリートミュージシャン」が街にあふれるかも?!

<最近の演奏曲目>
■「思い出まくら」アコギブルース風
■「手紙」由紀さおりアコギブルース風
■「ベッドの上のまくらで手紙を書いています」メドレー
  (手紙〜思い出まくら〜私は泣いています〜手紙)
■「言葉にできない」軟弱吹き飛ばし風
■「空飛ぶトレイン恋の歌」メドレー
  (トレイントレイン〜小さな恋の歌〜空も飛べるはず〜トレイントレイン)
■「時の流れに身をまかせ」アコースティック・ジャマイカリズム
■「五番街のマリー」アコギブルース風
■「氷雨月のスケッチ」アコギトリビュート

<歌いたいのに気持ちが曲に乗らない曲>
■「私たちの望むものは」2008年のストリートへ!



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