2008年7月18日
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「私のギター遍歴」
 
(ジロー/1950年生/愛知)


 1950年生まれの私は、ご多分に漏れず中学時代に親にせがんで買ってもらったヤマハのFGから始りました。Fのバレーコードにできるまでには悪戦苦闘の毎日でした。

 高校時代はエレキ全盛期で隣の空き家を借りて、ドンチャカ、ドンチャカ。まさにエレキ不良時代で周り近所に頭を下げる親にずいぶん迷惑をかけたものでした。極めつけは夏休みのアルバイトと称して、ビヤガーデンでの演奏を先生諸氏に見られ、万事休す。今とはずいぶん時代が違いますね。フォーク(このころからアコギにエレキが加わってきたと記憶しています)にベンチャーズ、ビートルズ、GS(グループサウンズ)から始まりロカビリー、スタンダードと支離滅裂なレパートリーでした。

 大学時代もこの延長線で色々なところで演奏しました。当時はあまりライブハウスというものがなく、ディスコ、クラブ、ビヤガーデンがほとんどでした。そしてメンバーも就職も間近になり自然解散。

 社会人となり社内でメンバーを募りバンドを結成。休日は朝から練習し、クリスマスパーティー、結婚式などで演奏していましたが、やがてメンバーも全員結婚し、仕事も忙しくなり5〜6年で解散。当時のギターはヤマハのSG-1000でした。初任給7万円で10万円の支出は痛い。でも本当はFenderのストラトが欲しかった。1ドル360円で800ドルは高根の花。

 しかし、7年ほど前に、ふと立ち寄った楽器店に Fender USA Stratcaster Vin.64の中古が目にとまりました。エリック・クラプトンやエリック・ジョンソンに傾注していた私に火がつきました。欲しい。古い楽器・機材を処分して手に入れました。一人で弾くにはもったいない。やはりバンドの中でこそストラトは生きている。しかし、当時の私はそれからの一歩が踏み出せませんでした。

 その後、一人で弾くギターに興味が移りましたが、弾き語りはダメです。歌が下手で。ギターも下手ですが、今までピック弾きでしたので、アルペジオを指弾きなんて、とてもできないと思っていました。しかし2年ほど前のある時、岸部眞明さんのライブを聴いて、なんじゃこれゃあー、まさにギターが唄っている。たった一本のギターとは思えない。なんて器用な人なんだ。この癒し系の音色。旋律。

 そうだアコースティックギターだ。早速CD付きの教則本を買い集め、私のアコギの一歩が始まりました。押し入れにしまってあったMizuno MS-150というギターを取り出しました。ピックアップを取り替え、アンプやエフェクター、プリアンプも買い揃えました。1ヶ月で1曲マスターが目標でした。簡単な曲から最近は変則チューニング、岸部眞明さんの「花」、「ワンダフル・トゥナイト」のカバー、童謡のアレンジにも取り組んでいます。

 60歳を目前に定年後の趣味として、また老化予防としてマイペースで・・・。戦うオヤジの一人として。





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