2008年10月17日
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「フォークソングとは」
 
(たっちゃん/1963年生/兵庫)


そもそも私がはじめてフォークソングというものを知ったのは、中学一年の時、2才上の姉が友人から借りてきた、吉田拓郎さんの「人生を語らず」と井上陽水さんの「もどり道」を聞いた時である。

それからすっかりたくろうと陽水にはまり込んだ私は、それ以前の両者のレコードをむさぼるように聞きまくり、当時のフォークソングの世界にどっぷりと浸ることになったのである。

当時のフォークの世界は、ちょうどフォークからニューミュージックへと変わっていく端境期にあり、フォークにこだわっていた私は頑なにニューミュージックを拒絶していた。世の中がすっかりニューミュージックに変わっていくのに連れて私のフォークソングに対する熱も次第に冷めていくのであった。

そうこうしているうちに社会人になった私の好きな音楽のジャンルは流行の海外音楽であった。特に好きなミュージシャンもおらず、ただなんとなく聞いていたような気がする。

そんなある時、私の心の奥深くに堅く根ざしていたフォークソングへの熱がふっと頭をもたげてきたのである。そのきっかけは何だったかは忘れてしまった。

本来、私の求めていたフォークソングの魂、たくろうでも陽水でもないもっと力強い魂、そう関西フォーク(アングラフォークとでも言おうか)との出会いであった。岡林信康、高石友也、ディランU、加川良、高田渡、友部正人、五つの赤い風船等々、どれもこれも全て私の心を揺さぶった人たちである。

それ以来、すっかりとフォークマニアになった私は経済的な余裕から、昔の音源を探しまくることになったのである。とりわけ西岡恭蔵さんには心底共感を抱いていた。だから彼の訃報をしった時、とてもショックを受けた。今でも彼の唄を聞いては慰められ、心安まり、そして悲しみにくれる。彼のような唄い手はもう現れないのだろうか。

今は私の経営しているアイリッシュパブでたまにフォークソングを流しているが、共通の趣味を持った人がずいぶんと多いのに驚いている。そういう人たちとフォークの話をしていると本当に話が尽きないのである。それほどフォークソングとは多くの人の心に根付いているのだなあと関心している。

今後も本応援団を通じていろいろな機会を作っていきたいと思う。




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