2009年12月2日
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「26年ぶりに触れたギター」
 
(放課後倶楽部C子-チョコ-/1959年生/東京)



高校時代に同級生だった小池君から、「卒業後30年目に当たる学校同窓会の目玉企画でバンドを結成したいんだけど、どうよ?」という話を持ちかけられたのは2003年のことでした。

「バンドを組む?それって、ど〜いうこと?どんな曲をやるの?」と全くイメージがわかなかった私は、職場や高校の先輩でもあった地元の重鎮フォークバンドのライヴに出かけました。

70年代の懐かしいフォークソングの数々に客席の皆さんも歌集を手に一緒に口ずさんだり、楽しそうにリズムを取りながら聴いていました。

私のギター体験と言っても中学時代に3歳上の兄のギターを借りて、簡単なコードで遊び程度に弾いていました。その後、ラジオ番組(コッキーポップ)から流れてきた大好きだった高木麻早さんの曲を真似したりと、高校時代も部屋でコッソリと弾き語りの練習をする程度でした。

たまたま、高3の文化祭で女友達3人とユーミンの「ひこうき雲」や風の「22歳の別れ」などを学校の中庭で演奏したくらいで、人前で演奏することはおろか、その後の26年間は全くギターを弾いたこともありませんでした。

コードも忘れてしまったし、当時のギター(ヤマハ製の1万5千円くらいのギターだった気がします。)もとっくに実家の親に廃棄処分されていました。だから、同級生バンド構想なんて、私には最初から想像外のことでした。

それでも何回か先輩たちのライヴに通い、ギターの音色、美しいハーモニー、客席の笑顔等に触れる度に「私もやってみたい!」と思い、気持ちが変化していったのを覚えています。特別な趣味もなかった私には、ライヴの臨場感や客席との一体感は、新鮮な驚きの発見でもありました。

「青春時代に何かやり残したことがあるんじゃないかなあ?」という思いでした。恐らく同級生の小池君も同じ思いでバンドの話を持ちかけてきたんじゃないかと。

そんな彼に、「ところで、小池君って高校時代はロック系大好き少年だったはずなのにどうして、今回はフォークなの?」と質問してみたところ、「時代は、確実にフォークソングの持つ言葉の力を求めている。この現象は当分続くよ。」とわかったようなことを言っていました。まさか、本当かなあと半信半疑でしたが、小池君には、時代を先読みする能力があったみたいですね(笑)。

フォークソングを聴いていたことすら忘れていた日々、もしかしたら、今を逃したらこの先ギターを弾いたり、人前で演奏なんてする機会はないだろうと思い、引っ込み思案だった私にしては「跳んじゃえ〜!」とばかりに、同級生バンド「放課後倶楽部」の最初のメンバーとして小池君に「入部します」と告げました。

それから、早5年、アマチュア音楽イベント「浜名湖フォークジャンボリー」にも連続3回出場させていただき、「大丈夫か?」と心配される唯一のバンド、一向に上達しないバンドとして各地で恥の上塗りをしながらもなんとか続けています。

そんな風に音楽イベントを通じていろいろな人と出会い、交流を重ね、皆さんの素晴らしいステージに触れてきました。最近では、それこそが今の私の目的!!なのかなと思うようになりました。

ひとの数だけ“放課後時間”がある。人生を楽しみたい人は「この指とまれ!」で一緒に遊ぼうよ的な感じです。それは同時に音楽が大好きな人、歌うことで何かを訴えたいと思う人、楽器を奏でることをやめないで続けきた人、仲間と切磋琢磨して一曲を練り上げる感動を共有できるような人、そんな情熱のある人たちと出会えることが、今後の人生の新しい楽しみ事になりました。

最近になって、はかなくも人生を終えた友がいます、そして病気と闘っている友も増えました。

生きていることを当たり前のように感じているけれど、今を元気に生きていることも本当は奇蹟に近いことなのかもしれませんね。

そして、今生きている私は、これからもずっと音楽を楽しみ、歌詞に意味や力のある曲を、こっそりと練習していきたいと思っています。




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