「自分が感動出来る唄が書きたいんだけど」
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(スリーピー/1957年生/山梨) |
夏休みになって、訳有って横浜で暮らしている三男が遊びに来ていました。この子はフォルクローレやアイリッシュ音楽が好きな変な中学3年生なんだけど、あるとき吉田拓郎の『今日までそして明日から』って良い唄だねなどと言いました。僕は少し驚き、少し嬉しくなりました。彼は僕が中学生だった30数年前と同じ音楽を聴いている。ひずんだギターの音にしか興味を示さない次男坊と対照的だなあ。まあ一本道や教訓、そして生活の柄なんかに話が及んだら、一緒に酒が飲めるようになるかな。はちみつぱいあたりをさかなにしてね。
僕の好きな音楽は十代の頃に聴いていた音楽と基本的に変わらない。好きなアーチストはいまだ現役バリバリの人が多いから、永遠に追い越すことは出来ないだろうけど、生きていくことのお手本が沢山あってとてもありがたい。この春にボブデイランを至近距離で見たときには、あまりに楽しそうにキーボードを弾きながら唄っているのに驚いた。偏屈はマスコミ対策だったのかなと思わせられた程でした。
自分がまず楽しめること、これが基本かなって思う。楽しむために練習もするし、うまくなって楽に演奏出来れば他人の出す音もよく聞こえるようになるし、聞きに(見に?)来てくれた人の表情も見えるようになる。僕はエンタテナータイプではないので、この基本をはずすとひどいステージになってしまいます。教訓です。
最近は唄が書けなくなってきて、少し悩んでいます。別に最高傑作を書こうと意気込んでいる訳でもなく、唄への思いがしぼんでしまった訳でもありません。ソロのセカンドアルバムを作り終えた後そういう状態になってしまっています。こういう時こそインストだあ、と意気込んでみるのですが、弾きなれた曲をなぞることに終始して、新曲をマスターとはなかなか行きません。現状維持だけだと後退ですよね。まあじたばたしているうちに、何とかなるだろうなんてタカをくくっています。
東京をでてはや17年が経ちました。一度は音楽からはなれてみたものの復活して、この地、八ヶ岳の南麓で3枚のアルバムを作りました。最初のはオムニバスでカントリーブルーというアルバムです。この中のカントリーブルーという曲を作ってから、仕事もカントリーブルー工房という屋号で独立しました。この曲と2枚のソロアルバムの中の何曲かが自分で感動出来た曲です。共通していえるのは、いずれも他の曲を作ろうとしている時に、突然浮かんできてあっという間に出来たということです。唄が降りてきた感じといったらおおげさになりますが。
そろそろ何処かのSPに行きたいなと思っています。その時はよろしくお願いします。
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