2011年5月9日
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「放射能ふりそそぐ春に」
 
(ぶちょう/1956年生/神奈川)


 2011年の3月、FUKUSHIMAで原発が爆発した。おなじ極東の国に原爆が落とされ、数十万人が殺害されてから66年目だった。斎藤和義の歌う「ずっと嘘だった」はYOU TUBEでアクセス70万を超えた。原発は安全と言う嘘、原発は安いと言う嘘、原発は地球温暖化を防ぐと言う嘘、原発がないと電気がなくなると言う嘘。そう、ずっと嘘だったのだ。例えばPENTANGLEが演奏するバラッドCRUEL SISTERでは、最後に吟遊詩人のハープがひとりでに歌い出し、真実をばらしてしまう。音楽にはそうした力が本当にあるのだろうか。いや、原発については忌野清志郎を筆頭に何人もがプロテストソングを歌い、少なからぬ人が聴いたり口ずさんだりしてきたはずだ。それなのに事態はなにも変わらず、2011年3月のカタストロフィーを迎えたのだ。しかも、いまだにマスコミは声高に嘘を叫び続けているし、誰も責任をとっていない。そして島国の活断層の上で原発は動き続けている。

 小学校の卒業式で「風」を歌い、中学の音楽祭では「イムジン川」をクラスで合唱した。私はそういう世代だ。いつもフォーク、ロック、カントリー、トラッド、民俗音楽などなど、さまざまな音楽と一緒に過ごしてきた。しかし想像以上に音楽は無力だった。いや、別に音楽で世界が変わるなどとは思っていなかったが、慰めにもならないとは。
 
 世界の終わりに聴きたい曲は何だろう。あの日からずっと、私はなにも音楽を聴く気になれなかった。ただ自然の音だけが聴きたかった。自然のつくる光と影だけを見ていたかった。
 それからずいぶん時間がたって、頭の中に浮かんできた旋律は、バッハの作品だった。表題のない絶対音楽。神のための音楽。そして佐々木昭一郎のドラマを思い出した。「四季 ユートピアノ」で「主よ 人の望みの喜びよ」が流れるシーン。
 ずっと手にしていなかったギターを手に取った。ギター用に編曲された無伴奏バイオリンパルティータの楽譜。ギターではとてもバイオリンのようにドラマティックな表現はできないが、別に人に聴かせるのではない。おそろしく下手でも(クラシックギターなど習ったことはない。ギターもスチール弦)ただこの曲を弾くことに喜びを感じる。和音のない旋律の連なりだが、コードがめまぐるしく入れ替わる。、流れる雲が落とす影のように光と影が交錯する。音楽は無力だが、やはり神秘的で魅力的だ。

 1万人の反原発デモが渋谷の街を行く。参加している若者が、WE SHALL OVERCOMEを歌っている。若者たちも、わが身に火の粉が降りかかってきたからには行動せずにいられなくなったのだろう。半世紀近く前の公民権運動でピート=シーガーらが歌った曲だ。50年経っても人に勇気を与える音楽の力?あるいは、いまだに同じようにデモをしなければならない無力さというべきか。この春はいろいろなことを考えた。いままでのことを振り返って音楽のことも考えた。無力感は消えないが、今、こんな曲を思い出している「ひとときの気休めでも、僕はいま花が 花がほしい。」(作詞 北山修)





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