2011年6月21日
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「私とギター(3) それから」
 
(ラルフ/1953年生/千葉)


 ギターを弾けても、人前で聞かせるまでは行かない。今のご時世教訓でもない! 私は人前で弾けるように、カルチャセンターのアコースティック講座の体験教室に行った。アコースティックと書いてあったから、てっきりフォークギターだと思い、ヤマハFG300を持って行った。しかしそこに来る人は皆、クラッシックギターだった。
先生が来て、クラッシックは持っていますか?と言われたので、持っています、と答えた。先生が、今日は体験だからマーいいでしょうと言い、練習が始まった。私は見学、終わり10分くらい前に、あなた、何か弾いてください。(ホールド等でギターが弾けることを察したと思う)私は網走番外地(流しバージョン)を弾き、先生がその曲解らないと言ったので、次は吉幾三の酒よを弾いた。男の生徒(60歳くらい)が、一緒に弾いてくれ、先生が急に歌を歌い出した。教室はカラオケ教室になった。大笑い。

 休日は暇なので、ギター練習・娘と孫とドライブなどで時間をつぶす。ギターを持って公園で歌を歌い孫をあやす、そんな天気の良い日、娘と孫とで、木更津に行った。木更津港には、港の入り口に小さい島(幅50m位)があり、橋が架かり公園になっている。その入り口に魚市場、駐車場があり、お決まりのお土産屋、ソフトクリーム・イカ焼きの屋台があった。娘と休憩、BGMが流れていた。気に留めることも無く聞いていたら、拓郎です。
 拓郎の歌が次々とかかるので、イカ焼きのおっさん(63歳)に聞いた、これはラジヲですか? するとおっさんが、隣の奥さんと共に急に姿勢を正し、『拓郎は、私の人生の師です!』と言った、私たち親子は大笑い。
なるほど拓郎の歌には、メッセージソングが多いが、笑ったのは他に理由がある。そこに行くまでに、車の中で娘に「お父さんがフォークソングを歌っていた時、拓郎・南こうせつ・さだまさしは歌ったことが無いんだよ。フォークシンガーと言うものは、反体制でマスメディアには出ないモンだよ。だから、岡林は知らないでしょう、拓郎は知っているよね」そんな話をしながら来た。そんな時に拓郎を師と仰ぐ人が居たものだから、娘と大笑い。楽しい一日を過ごした。娘曰く「おかしな中年は何処にでもいるね」私はおかしくない・・・大笑いです。

 数週間後、姪の結婚式に出るために札幌へ行くことが決まった。
このサイトで知った、札幌居酒屋拓郎にアクセス。千葉にも拓郎がいたことを投稿、札幌に行って店にお邪魔することにした。ライブハウスから「おかしな中年一杯います、若者も」という返事。行きました。すべてが拓郎でした。トイレの中まで拓郎のポスター、お客も私くらいの年齢の男女、マスターの拓郎ライブにリズムを取る。楽しく身の毛もよだつ時間だった。

 震災でいろんなアーティストがライブをやり、ミュージシャンとしての何か責任感みたいのが見える今日、私は家族に宣言した。千葉の小田和正になる。そして義捐金を集めるのだ!!家族は呆れ顔の毎日である。

PS 来年8月上旬、中津川・花の湖畔で、神戸のフォークシンガーと2家族でフォークジャンボリーします。





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