「ギターはいいね、歌もいい」
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(境橋/1955年生/東京) |
「オヤ応」の皆さん、こんにちは。 境橋と申します。
このリレーエッセイを書くにあたって、自分はいつ頃からギターとか歌に興味をもったのだろう、と振り返ってみました。まず、歌って楽しいな、と思うようになったのはたしか6歳前後の頃。隣町に基地があり、基地に住んでいるアメリカ人の男の子が近所に時々遊びに来ていました。で、よく歌っていたのが「ジェニジェニ」や「恋の片道切符」。リトル・リチャードやニール・セダカですね。歌詞の意味もわからず、ただただリズムが楽しくてツイストしながらよく歌っていました。(笑)
小学3〜4年生あたりからは「大正テレビ寄席」を楽しみにしてました。牧伸二の弾くウクレレの音に興味津々で、あの頃から弦楽器が気になりだしたみたいです。「ドリフ」をはじめ「ドンキーカルテット」などのコミックバンドが大好きでしたが(笑)、とにかくギターをよく見つめていたようです。(ちなみに、かしまし娘は、三味線とギブソンらしいピックギターの組み合わせでその演奏も見事だったですよねー。)そして、小学6年生の頃からよくラジオを聴くようになり、洋楽を知っていきます。
さらに中学に入ると、テレビで「ヤング720」を放映していて、初めて、高田渡、岡林信康、ジャックス等の歌を聴き、朝っぱらから大きな衝撃を受けたものでした。「自衛隊に入ろう」とか「手紙」を規制されることもなく生で歌ってもらえて、夢のような貴重な時間でした。この頃から、ギターはもちろんシンガーソングライターたちの歌をもっと知りたいと思うようになり、深夜放送にハマっていきます。家には、親戚の人からもらったウクレレや父親に買ってもらった質屋流れのガットギターがあり、暇さえあればポロポロと爪弾いて遊んでいました。
ギターと歌への思いは高校に入ってからさらに強くなり、新譜ジャーナルやガッツを読み、小遣いを貯めては日本のフォークや洋楽のLPを買うのが楽しみで、ついでにお年玉で買ったモーリスのフォークギターで、自作の歌を作るようになっていきました。ライブにもよく行くようになりましたね。
その後、進学し横浜の端っこのほうで一人暮らしをはじめます。当時、テレビ神奈川で「ヤングインパルス」という音楽番組を放映していました。陽水や斉藤哲夫、中山ラビ、高田渡率いる武蔵野たんぽぽ団、古井戸、加川良や初期のRCサクセション等、大物ミュージシャンたちの生の唄声を聞きたくて、スタジオに許可なく平然と入って客席で普通に聴いたりしていましたね。(本当にスミマセンでした。笑。)
ギターへの憧れも強くなり、アルバイトでお金を貯めて、S・ヤイリを買い、ギターに対する情熱はさらにヒートアップ。ライブに行ったり、友人が主催する手作りのコンサートに出て歌ったり、逗子のスナックで歌わせてもらったりしてました。そして、卒業〜就職。家庭を持ち、いつのまにか、それなりの年齢になりました。ギターはいつもそばにいてくれましたねー。
「オヤ応」に入ったのも、その主旨・目的がまさしくそのものズバリ!だったから。これからの人生にとってとても大切なことだと思います。ギターと歌への思いは、まったく変わってなくて、ずっとこんな感じです。
皆さん、どこかで会うことがありましたらどうぞ気軽に声をかけてくださいね。今後ともよろしく、です。 |
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