2011年12月21日
<エッセイ一覧へ>

「ギターと犬」
 
(Waqxaqi/ 1954年生/福岡)


 アコースティック・ギター愛好家の方々の中にも、愛犬家はいらっしゃるかもしれません。(わたしは、犬も猫も大好きですが、今日は犬とギターの話題です。猫好きの皆さま、ごめんなさい。)
 まず、犬と音との関係をよく表しているイメージの一つに、ビクターのロゴになっているフォックス・テリア犬ニッパーの絵があります。主人の声が聴こえているのか、蓄音機に向かって小首を傾げている姿勢が、印象的なあの絵です。すでに亡くなった主人を思い出して悲しんでいるのか、それとも姿は見えないのに人間の声がするので、ただ不思議そうにしているのか、判断できません。
 機械が人間の声を模倣し、犬がそれに気づかず、ついつい聴き入ってしまうこと。なんだか、見ている者を不思議な気持ちにさせます。少なくとも、一度見たら忘れられないイメージではないでしょうか。とくに、愛犬家の方々には。
 このイメージは、録音技術の黎明期、19世紀後半に描かれた「ご主人さまの声」という絵がもとになっています。一昨年でしょうか、わたしの住む地方都市でも、惜しまれつつ閉店してしまったHMVという巨大なCD(=レコード)店はビクター系列ですが、HMVとは、His Master’s Voiceの頭文字に由来します。つまり、店名は「ご主人さまの声」でした。
 技術が進歩した現在、機械が人間の声を模倣することは簡単です。ICレコーダーを利用すれば、犬どころか、人間もそこに声の主の存在を認めてしまいます。だからこそ、録音は証拠にもっともうるさい法廷において、その信憑性が発揮されます。
 しかしながら、模倣は録音のように「音を写し取る」ことだけによって達成されるわけではないようです。ここからが、ギターの話になります。
 わたしが現在2本所有しているリゾネイター・ギターの1台は、ドブロ社製のものでした。ナショナル・スチール・ギターと一般的には呼ばれているものです。まだ、カリフォルニア州サン・ルイス・オビスポ市にあるNRG社が30年代の銘器の複製を開始する以前、1980年代初頭にこのギターを購入しました。
 仕事のため、沖縄県八重山郡竹富町にある離島で2年間生活することになっていたので、十分に予想される離島生活の寂しさをまぎらわせようと、ギターを1台持参することにしました。おかげで、ハード・ケースの金具は錆だらけです。
 沖縄へと旅立つ前、数年間戻っていなかった実家に立ち寄ることにしました。驚いたことに、わたしを玄関で迎えてくれたのは、父母や弟ではなく、小さな白いトイ・プードルでした。母が半年ほど前から飼い始めていた犬で、すっかり家族の一員という顔をし、久しぶりに実家に戻ったわたしなどは、家族内の序列では一番下だという態度がみえみえです。(賢いけれども、人間の表情や感情に敏感すぎる犬でした。)
 次の晩、夕食後のことです。スチール・ギターといえば、スライド奏法。開放弦がすべて和音になるように調弦し、スライド用の真鍮製パイフを小指につけ、さて、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの曲でもと思い、演奏を始めました。ライ・クーダーが「パリ・テキサス」という映画のサウンド・トラックで演奏したような感じです。(もちろん、わたしの演奏など、本家には比べようもなく、貧弱なものですが。)
 すぐに、犬がワンワンと吠え出すのです。わたしも、犬に吠えられ、驚き、演奏を中断。少しだけ間をおいて、気を取り直し、また演奏を始めると、また、犬が吠えるのです。そばにいた母はたまりかねたのか、「お前(のギター)が下手だから、犬まで怒っているのよ」という始末です。
 やがて、シャフル・ビードのブルーズを弾けば、犬は吠えないことがわかりました。犬は、スライドの音色に反応していたのです。そのとき、どこかで読んだことがある記事を、ふと思い出しました。
 そもそもスライド奏法は、人間の声を真似るために、発案されたということです。ハワイアンでも、ブルーズでも、スライド奏法は人間の声を模倣しようとした結果、生まれたそうです。プードルは、姿は見えないが、ギターから流れ出る人間のような声に驚き、威嚇していたのではないか、と推測しています。
 案外、その昔、蓄音機によって再生された声よりも、スライド・ギターの音色の方が、犬にとっては、人間の声に近かったのかもしれません。ニッパーが登場する「ご主人さまの声」という絵が描かれたのは、正確には1887年。「ブルーズの父」と称されるW.C.ハンディがミシシッピ州のある駅で列車を待つ間、黒人の男がナイフを弦の上に滑らせ、奇妙な音楽―それが、ブルーズだったわけですが―をはじめて耳にしたのは、1903年。ハワイアン・スチール奏法―膝の上にギターを寝かせ、鉄のバーを弦上にスライドさせる―の創始者ジョセフ・ケククが、古典フラのチャントを真似るために、その奏法を開発したのが、1885年。それらは、世紀を挟んで、たかだが20年の間に報告されたことです。とても面白い符合のような気がします。
 プードルは、12歳を迎えて間もなく生涯を閉じました。天国でも母と一緒に楽しく暮らしているに違いありません。いまでもわたしがブル−ズを演奏するときは、「下手なギターは止めてくれ」と母が抗議し、その傍らで犬はワンワン吠えていることでしょう。




エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→