2012年6月4日
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「ギターについて」
 
(SCENE"G"/1960年生/北海道)

その1

僕はギターが好きです。
楽しい音楽や悲しい音楽を奏でるギターが好きです。
楽しいときや悲しいとき、いつもそばにいて気持ちを音にしてくれる。
きっと、ずっと一緒にいるのだと思う。
一緒に大きくなっていってくれる。
僕はそんなギターが大好きだ。

と、いうような詩を中学生のときだったか、書いた気がする。
それが、40年くらいたった今でも同じ気持ちでいる。
ちょっと、不思議だったり驚いたり。

これまでいろいろなギターを弾いてきたが、どれも好きだった。
左手の指先はいつも硬かった。
当然のように右手の指の爪は長めに残す。

そのうちに大人になった。仕事にも就いた。
それでも一生懸命ギターを弾いて歌っていた。
バンドにも夢中になった。
音楽もいいけど、ちゃんと仕事をしろ〜と先輩たち、冗談本気いろいろあった。
自分の中に入り、内緒で音楽を続けた。

結婚し、子供が出来た。みんな成長し、家から出て行った。

今思えば、自分を縛り、心にしまいこんだものは何か・・・・。
いつか歳月が流れ、何かを諦め、力が抜けたころ、残りの人生の光が見えてきた。
少し早いような気もするが、やりたいことをやらなければならない。
そう思えてきた。

ギターはいつも僕を待っている。
そして妻は・・・あきれている。(唐突だが)


その2

これまでいろいろなギターを弾いてきたが、どれも好き。
小学生6年、それまで隣のお兄さんのものを借りていたので、親が本当にやるのならと3,000円のガットギターを買ってくれた。
親に買ってもらったのは最初で最後だったが、その後、ギター狂いの息子を見て、良かったのか失敗だったのか・・・相当悩んだということだ。
親は、勉強もしないで夢中になることは失敗と思ったが、何か目標のようなものを見つけたのか目の輝きが変わったので、良いのかもしれないと思ったそうだ。勉強を捨てた息子を許した親は偉かった。というか、それまでがどうしようもなかったという事らしい。

中学に入って、小遣いを貯めて10,000円のフォークギターを買った。
その日から、寝ても覚めても、遊びも勉強も、ギター一筋の生活が始まった。
その頃買った拓郎のLP「元気です」は僕のバイブルとなった。
受験勉強?振りだけだった〜〜

高校では新聞配達をして42,000円のK.Countryを買った。
このギターは、現在甥っ子が使っているが、一昨年、ヘッドが折れたと帰ってきたので、修理して戻してあげた。ロゴが接着剤で乱れたが、使用に問題はない。僕も、なかなかのものだと自惚れた。

高校卒業して就職が決まった。入社式も済まないうちにGUILD D-55 を月賦で買った。今考えれば楽器屋さんのオヤジさんに騙されたのだと思う。でも、今もちゃんとカラカラのGUILDの音がしている。極貧といろいろに辛かった時代を共にしたギターで手放せない。

妻と結婚する前、妻がコツコツ貯めたお金があることを聞き、良いギターは使用してもあまり価値の下がらない財産、と騙して?MartinD-28を買わせた。
妻は今でも信じているし、騙されたと思っていない。
妻はMartinが好きで、衣装や宝石など一切興味がなく、ギターこそ財産としてその後も買った。
D-28だけは、自由に弾かせていただいているが、その他の高級ギターは傷がついては困るとケースで眠っている。騙し方が偏っていたようだ。
(僕に所有権のないギターについての紹介は省略します。)

20年近く前、新宿の黒澤楽器に冷やかしに行って、M38を衝動買いした。
その結果の妻との関係はご想像にお任せだが、今も気に食わないギターとして冷たく扱われている。しかし、Martinらしい音色で使いやすく一番使うギターの一本。

拓郎が弾いていたGibsonJ-45が欲しくて10年ほど前に買ったが、少々飽きたので、下取りに出してHummingbirdを買った。今は気に入っている。

ちなみに離婚する時に僕が持って出られるギターは、
GUILD、Martin M38、Gibson- Hummingbird、YAMAHA FG-180、同FG-160、ウクレレ、沖縄三線、僕が死んだ時棺桶に入れてもらう予定のMartin Backpacker。

今、子供が欲しいと言えばMartin M38以外なら渡してよい。いずれ全部遺産となるのだが・・・


戦うオヤジの応援団の皆さん、よろしくお願いします。




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