「始まりは、ドラムだった」 |
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(エベレスト/1950年生/東京) |
もともと音楽は好きで、歌謡曲や日本のポップス飯田久彦・弘田三枝子、ニールセダカ?シェリー・フェブレーなどの洋物なんかをよく聴いて、歌っていたりしました。中学生のころビートルズのヤー・ヤー・ヤーを見てリンゴ・スターのドラムがかっこよくて、親の援助とアルバイトでパールの5万円のドラムセットを購入し友達とバンドを組んで、関西アマチュアコンテストで2位になりました。
そのご褒美として、クレージビートルズ、スパイダースと共演することができました。
しかし、親友のリードギターが、喘息の病気になりバンドの練習ができなくなり、高校2年生の時亡くなりました。その後はギターを少し触るくらいで、そんなに練習はしていませんでした。
それでも高校の同級生と組んで文化祭で、ビートルズの“ノルウェーの森”とビージーズの曲を歌ったりはしてました。
この同級生とは音楽友達になり、よく遊びに行くようになり、ジョン・コルトレーンのバラードを聴かされていました。しかし、当時はジャズの良さがわからず、興味を持つまでにはいたりませんでした。それでも、いろんな曲を聞かせてもらい、ピンクフロイドやアルビィン・リー、BST,チェース、シカゴ等の音楽を友達は聞かせてくれました。
そんなある日、この曲“ささやん”なら、絶対にはまると聴かされたのが、サンタナの“君に捧げるサンバ”でした。これにはカルチャーショックを受けましたね。本当にヴォーカルのようなギターには感動をしました。“こんなギターの弾き方があるんだ”と心を揺さぶられ、私もこんなギターが弾けるようになりたいと、サンタナが初ライブでレスポールとツインリバーブをつかっていたので、夏と冬のボーナスでこれを購入しました。サンタナのライブの後ホテルまで追っかけて、来日メンバー全員と握手をしてもらいました。
というわけでもともとはアコギではありません、しかし、全く興味が無かったわけではなく、なんと高校生のときは、五つの赤い風船の“遠い世界”をなんとツーフィンガーで演奏し、嵐電の御室駅(仁和寺が目の前)のホームで彼女に歌って聞かせたことがあるんです。ですから、今でも“遠い世界”は演奏できます。
ジョージ・ハリスンが映画“バングラ・ディッシュ”?でバド・フィンガーのギターとアコギでヒア・カム・ザ・サンを歌ったのは最高でした。とはいうもののバンド活動が主で、ジム・ホール、パット・メセニー、ジョージ・ベンソン、パット・マルティーノ、などに憧れていました。
20年近く楽器から遠ざかっていたのですが、某レコード会社のビルの管理をするようになり、寝た子を起こされてしまいました。しかし、お金がそんなにあるわけではないので、取合えずギブソンのラウンドマーカーというマイナーなギターを購入しバンド活動を再開しましたが、バンドは2年くらいで解散。このころ、DTMにもはまりオリジナルの曲をアレンジして録音したりしていました。この録音に必要な楽器として、コードカッティング音が良いタコマのアコギを購入しました。これが、アコギの始まりになります。すみません、やっとアコギに到達しました。
そんなわけで、オリジナルをライブ・ハウスで歌うようになり、アコギを主に使うようになったのですが、あまりの歌の下手さ故にライブ活動を中止しました。バンドのメンバーや友達からも、歌だけは止めたほうがいいといわれる次第です。しかし、ここで諦めたら何の為に東京に来たのか!!今年62歳になりますが、夢を諦めるなということで、ヴォーカル・レッスンを続けています。
目標は、オリジナルをヒットさせることですが、現在は修行中でカバー曲歌っています。
親父の皆さん、いくつになっても夢を忘れないで、頑張りましょう。 |
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