2012年6月18日
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「徒然なるままに…」
 
(jun/1964年生/千葉)


「♪汽車を待つ君の横で僕は…」、ご存じ「なごり雪」。
中学の頃に私の友人が「イルカ」のファンで、当時私に2枚のシングルレコードを貸してくれた。そのうちの1枚のレコードが「イルカ」の「なごり雪」だった。
ちなみにもう1枚のレコードは「あのねのね」の「さよならは白い雪文字」。
これが私とフォークとの出会いであった。

その頃、親に買ってもらったBCLラジオのクーガー2200(今でも使っています)であちこちの深夜のラジオ番組を聴いた。その中にABCヤングリクエストがあり、その番組の中にアマチュアが登場するコーナーがあった。そのコーナーは主にフォークのコピーやオリジナルをギターで演奏し、司会のキダ・タローさんがコメントするというもので、レコードで聴くのとは違うギターで演奏された音楽とアマチュアの歌声に心をときめかせた。

コッキーポップと出会ったのもその頃だったと思う。

私たちが生まれてきた時から育ててきた何かを伝えあうために、
ちぎれかけた世界の心と心を繋ぎ合うために、
私たちの歌が今ここにある。

大石吾朗さんの独特の語りで始まるこの番組は、音楽の持つ無限の可能性を感じさせた。
そして「NSP」「中島みゆき」「谷山浩子」などを夢中で聴いた。
ポプコン関係以外では「イルカ」「ふきのとう」「とんぼ(ちゃん)」「沢田聖子」など。
特に「ふきのとう」と「NSP」は大のお気に入りだった。

初めてギターを手にしたのは中学生の時だった。
これはあまりに安くて弾きにくいギターだったので、すぐに買い換えたのが今も使っているキャッツアイ。少しコードを覚えて…すぐに我流でオリジナルを作り出した。

大学に入って「フォーク・アライブ・クラブ」というサークルに入った。
そこはオリジナル中心に活動するサークルで、私もフォークバンドを組んだ。
「めるへん堂」と名付けたそのバンドで、生まれて初めて人前でオリジナルを歌った。
また先輩方の歌も素晴らしく、歌詞の中に輝く言葉を見つけては、心の糧としていた。

大学を卒業してからはギターを弾く機会もなくなり、そのまま20年以上の時間が流れた。
また大阪で生まれ育った私は千葉に住むようになっていた。
昨年大阪の高槻に住んでいた母が入院し、週末に高槻に行く様になった。
その高槻でオンチューンという店に入った。
いわゆるフォーク酒場であるが、そこでお客さんの演奏を聴いているうちに、自分ももう一度ギターを弾いてみたくなった。そうして今年5月にインターネットで「戦うオヤジの応援団」を知り、HPにある主旨を読んだ。

「戦うオヤジの応援団」ではギターや唄を使った“音楽”という手段を通じて自分自身を表現することにより、心の奥底に隠されたエネルギーを再確認し、仲間と共に新たな自分自身の人生を切り開くことを目的としています。

それはかつて大石吾朗が語り、私自身がオリジナルを作って歌ってきたものと共通するものを私に感じさせた。

だから今、私はここにいる。
そうして、ここにいたいと思う。。。




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