「自分を救ってくれたギターと母への感謝」 |
|
(naobou/1964年生/沖縄) |
中1に進学した頃、好奇心旺盛で落ち着きのなかった自分は、クラスの親友と一緒に不良グループの先輩たちと行動を共にするようになっていました。喫煙、恐喝、深夜俳諧、深夜の自転車暴走などを繰り返し、母親が学校に呼び出されること2回・・・・2回目に呼び出された日の夜、母は仕事が終わって夜中から飲めない酒をあおり父の仏前でずっと泣き続けていました。13歳の多感な時期、自分の心は母への申し訳ない気持ちで張り裂けそうになったのを今でも覚えています。
その当時、母親は自宅の1階で”軽食&喫茶店”の自営業を営んでいました。子ども達5名を育てるために”年中無休”で働いていました。母は面倒見がよかったので近くの県立高校に通う男子高校生数名が頻繁に集まるようになり、午後10時の閉店間際になるとその内の1人が自宅からギターを持ってきてみんなで歌ったりと楽しそうにしていました。
自宅の2階にいても高校生達の歌声が聞こえてきて心が和んだ記憶があります。
その高校生達のように自分もギターが弾けたら・・・・という思いから3学期が始まると同時に母親と”ある約束”をしました。・・・・・不良グループとは遊ばない、これからまじめに頑張るから・・・・そして、成績が上がればギターを買って欲しいと・・・・・・決して余裕のある家庭ではありませんでしたが母はニコリと笑って”いいよ”と言ってくれました。
自ら希望し、クラスの1番前の席に座り、一生懸命勉強した結果、各教科ともテストの点数がクラスで上位・・・・自慢げにそのテストを母に見せると母はびっくりしていました。それからしばらくして約束どおり母がギターを買ってくれました。それからというもの、学校から帰ってきて毎日夜遅くまでアコースティックギターに没頭し・・・・・・今現在に至っています。
“EL.MARTIN”・・・・・今でも自宅の居間に大事に飾ってあります。”不良の道”から自分を救ってくれたギター、そのギターを買ってくれた母親への感謝の気持ちは一生忘れることはありません。
|
|
|
|