「私のギター」 |
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(ユーパロ/1951年生/秋田) |
すべてのはじまりは、一本のギターからでした。
札幌から上京して間もないころ大学の先輩のアパートへ行った時、部屋の隅にそのギターがあったんです。手にしたことさえなかったフォークギターでした。素直にこういうのほしいな~って思った。先輩は私の気持ちを察したのか「安く譲ってやろうか・・・」っていったんです。
それが今持っているギターです。ちなみにそのあとケースを楽器屋で買ったんですがケースのほうが高かった。
当時はフォークブームでしたが、ギターを買っても途中で挫折する人けっこういたみたいで・・・友だちに誘われてフォークコンサートに行くようになったのもこの頃でしたね。よく行ったのは、渋谷公会堂。いつも満員で・・・拓郎が長い髪をユサユサさせながらステージに出てきたのを妙に覚えてます。なにを歌ったのかは覚えてないけど、あとシュリークスも出てた。でも一番気にいったのは、五つの赤い風船でした。
安く譲ってもらった、ギターケースより安いギターで弾けるように・・・と練習したのは風船の曲でした。ギターをそれなりに弾けるようになるコツは、好きな曲を練習することではないかと・・・。
そんな中、ひとつの転機というか出逢いがありました。
それは、スリーフィンガーピッキングとの出会いでした。その男は、叔父さんがTVのフォークギター講座の先生をやった人で、その人に3カ月習ったといって・・・私よりはるかに上手かったわけで、その友人が懇切丁寧にそれを教えてくれた。
それまで我流でやってきた私に、いきなり拓郎の「花嫁になる君へ」を教えた。初級レベルの私に、いきなり上級レベルを教えるようなもので・・・でも必死に練習しました。これは転機でしたね。これ弾けたら他の曲は楽です。あとバリエーションでいろんな曲がひけるようになって、世界が広がったようでした。
このギターとの出会いは、上京してアパートの一人暮らしの私をずいぶんなぐさめてくれたし、ひとつの癒しであったように思います。
ある時、アパートの隣に住む家族のオヤジさんが突然来たことがありました。ギターを持ってきたんです。オヤジさんいうには、この娘さんのギターをチューニングしてほしいということだった。その娘さんというのは、中学生くらいだったか・・・いつも私がギター弾いて歌ってるのを聞いてたらしい。もちろんすぐやってあげたけど、あとで思った。その娘さんに直接チューニングのやり方教えればよかったと。
ひょっとして私の歌ってるのを聞いてギターやろうと思って、ギターを買ってもらったのかもしれない。そう思ったらなんだか嬉しくなった・・・そんなことがあった時代です。 |
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