「少年時代」 |
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(横浜岡村おやG/1960年生/神奈川) |
私は、小学校の頃から横浜にある夜の歓楽街、福富町に両親・兄弟5人で住んでおりました。伊勢佐木町には野沢屋(後の松坂屋)が、横浜公園(横浜スタジアムがある)には野外音楽堂がまだあった頃です。
某ショールーム
家から自転車で10分ほど行った横浜公園のそばに、某大手家電メーカーのショールームがありました。ここは夏場には涼しく時間を過ごせるのと無料で好きなLPを試聴することがのできるレコードライブラリがあったので、部活で汗をかいた後、よく遊びに行っておりました。また、このショールームの中には、ちょっとしたイベントスペースがあって、休祝日等にステレオコンサートやミニライブなどもやっていました。
井上陽水さんとの出会い
中1の頃、いつものように、ここで遊んでいた時のことです。ちょうどその日はかなり髪を延ばし、ブーツカット(昔はパンタロンと言った)を履いた一団が来ていて、これからミニライブをするとのこと。その一団の一人がアフロヘアの井上陽水さんでした。一緒にいたのは古井戸の二人。陽水さんは、例の独特な唄い方で椅子に座ったまま“傘がない”を目の前で歌いました。この歌を初めて聴いた時は、「何じゃこの歌詞、傘くらい買えばいいじゃん」という程度の印象しか持ちませんでした。それから数カ月後でしょうか、「心もよう」、「夢の中へ」等がヒットし、陽水さんはいつの間にかスーパースターとなっていました。
氷の世界
中2の頃になると、同級生達もフォークソングに熱をあげるようになり、文化祭のステージで陽水、チューリップ、かぐや姫を演奏する連中も出てきました。その頃、私も初めて自分の小遣いで「氷の世界」のLPを購入。特にこのアルバム中の“帰れない二人”は一番のお気に入りでした。この曲のイントロでフォークギターが重なる音色がとても素晴らしく、こんな曲をいつしか自分でも弾いてみたいと思うようになりました。
モーリスW40
中3になると、同級生の中にはマーチンを学校まで持ってきて、自慢気にS&Gの“アンジー”を弾くような連中もいました。しかし、マーチンを買えるお金もなく、ヤクルト配達のアルバイトで貯めたお金と小遣いを足してモーリスを買うことにしました。何故モーリスにしたのか、記憶が残って無いのですが、当時「モーリス持てば君もスーパースター」とラジオ等で宣伝していたので、多分のその影響だったと思います。横浜からお茶の水まで、友人と買いに出かけました。
私の心は夏もよう♪
あれから40年近く経ちました。就職後、全くギターを触らない時間を数十年過ごしていましたが、昨年末、お茶の水まで一緒にモーリスを買いに行った旧友の勧めもあり、またギターを再開することになりました。
今は陽水さんと偶然出会ったり、モーリスを弾いていた頃のことを思い出しながら“少年時代”を唄っています。 |
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