「彼女の伴奏」 |
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(T.Shinohara/1965年生/東京) |
もう20年も前のことだけど。
その日、彼女に想いを告白した。
高校1年の春、当時ヒットしていた歌を、音楽室で歌っていた彼女。
その姿を見掛けたときから、心を奪われていた彼女に。
高校生活の3年間、ずっと彼女のことを思って、切ない気持ちでいっぱいだった。ちょっとした彼女の変化が、僕の心を惑わせた。例えば、ヘアピンの色が変わったことや、カバンに新しいワッペンが増えたことぐらいで。
いつも彼女の視線を気にしていた。校庭のフィールドに、トラックに、走り抜けるとき、ボールを追いかけるとき、その視線が気になっていた。
僕のギター(ヤマハのL-15だ。バイトで買った。ハカランダのサイド&バックだぜ)で歌ってくれた時の事を覚えている。放課後の教室でひとり、ギターのコードを鳴らしていたとき、後ろからそっと、楽器に合わせて歌声が聞こえた。それは、彼女だった。
その時、彼女が何かを言って、確かに聞こえたのだが、何を言っていたのか、その言葉をまったく思い出せない。
そのくらい、心が揺れていたんだ。
高校の卒業式、彼女の背中を見送りながら、最後の言葉を探した。でも、何も言えなかった。僕は大学の入学試験に失敗し、来年のために一年間浪人することが決まっていた。そんな足元の固まっていない自分が恥ずかしくて、すでに春から東京の大学へ進学しようという彼女にかける言葉など、一言も見つからなかった。
彼女が、これから誰と出会って、どんな人生を生きていくのか。それが、僕とまったく関係ないことが、ものすごく寂しかった。少女のすべてが、いま目の前で大人になってしまえばいいのに…。そう思いながら悔しい気持ちで唇をかんだ。
その日の夜は、ギターがいい音しなかった。
湿った音を出す、不思議なハカランダ。
このまま終わっていくんだろうか?
声だけでも聞けたらいいのに、その距離が憎らしくて、春の雨の音を聞きながら、ひとりでちょっとだけ泣いた。
僕は、その後、進学をやめて音楽で生きる道を選んだ。僕の組んでいたバンドが、卒業前に応募したレコード会社のオーディションに合格して、夏までにCDを1枚リリースすることになったのだ。
CDのために曲を全部で34曲書いた。そのうち9曲がプロデューサーに選ばれ、レコーディングが開始された。選ばれた9曲はすべて、彼女のことを思いながら、苦悶した日々を歌ったものだった。「リアリティがある」と、レコーディング・ディレクターが言った。
CDは、相当の宣伝費をかけて、テレビのアニメ番組のタイアップも1曲取って発売された。しかし、全然売れなかった。2枚目の話はなかった。一応の全国ツアーを一回こなしただけで、小さなライブハウスを中心に活動するバンドになり、やがては解散した。
でも、その後、アルバムに収録した曲のうち、2曲を新人のアイドル歌手が歌うことになり、それがスマッシュ・ヒットになった。口座にかつてない大金が振り込まれ、アイドルの女の子から「先生」と呼ばれた。
それからしばらく詞と曲を作ってアイドルやアーティストに提供する作家として生活した。やがて、業界で少し名前が通るようになり、ある程度の資金を得た僕は、友人とアーティストのマネージメントをする小さな会社を開いた。仕事は大変だったけれど順調で、六本木や麻布で一夜に100万円近くの金を飲んで使ってしまうようになった。
高校を卒業してから、9年が経っていた。その頃から、明らかに心に空洞ができ始めていた。
マーティンだって、ギブソンだって、好きなギターなんでも持っているのに、そもそも何がほしかったかわからなくなってしまった。
そしてその日、ふと思い出して自分がバンドでデビューした時のCDを聞いた。その時のことだ。
しばらく忘れていた彼女のことを思い出した。そして、「言葉」を思い出した。僕が教室でギターを弾いているとき、後ろから歌いかけてきた彼女が、僕にいった「言葉」。
「私は、私の歌の伴奏をしてくれる人を探していたの」
そう、確かにそう、彼女は言ったんだ。
事務所のリクライニングシートから飛び上がって自宅のマンションに戻り、卒業式以来、開いていなかったアルバムをめくった。そして、住所録にあった彼女の家に電話をかけた。
3コールで彼女自身が出た。
もう9年以上も前のことだけど、歌の伴奏をしてくれる人を探してるって聞いたから、自分はどうかなと思って電話をした、と告げた。キチガイ扱いされると思った。
「僕は君が、ずっとずっと、好きだったんだ」
すると、電話の向こうから答えがあった。
「わたしもよ」
――――でも、伴奏してくれる人は見つかったの。
夏になれば子供が生まれるわ。
いま、出産で実家に戻っているの。
もう、20年も前のことだけど、
その日、彼女に想いを告白した。
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