2014年1月28日
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「フォークとの馴れ初め、そしてその後」
 
(ごっちゃん/1952年生/千葉)


 私がギターを弾き始めたのは、はっきりとした記憶はなく、確か中学生の頃からではないかと思うのですが、姉貴のギターを拝借し、見よう見まねで、ジョンバイエス、ブラザーズフォー、PPMの曲を弾いていたように思います。兎に角、岐阜の山奥、楽譜もなければ、教えを仰ぐ人もなく、ラジオの深夜放送を聞き、耳で聞いた音をポロン、ポロンと弾きながら歌っていました。

 高校に入学し暫くして、ラジオから岡林の『山谷ブルース』が流れて来たとき、初めての日本のフォークとの出会いでした。Am、E7、Am、Dm・・・と、素人でも直ぐに弾ける曲で、「これが日本のフォークソング」と毎日のように歌っていたように記憶しています。         
当時は学生紛争もピークで、活気があると同時に、どこかデカダンスな空気が漂い、そんな流れが、高校生にも少しずつ浸透し始めていた時代でした。又、ベトナム戦争も泥沼化しアメリカ等では、反戦歌が盛んに歌われていました。
そして同時に、ビートルズを筆頭に海外のロックも花盛りで、毎晩遅くまで、受験勉強という名目で、深夜放送に聞き入り、新しいロックを仕入れては、学校で新着情報として仲間と会話をするのが楽しみの一つでした。なぜか昼間は全く入らないラジオ放送が、夜の12時を過ぎると、綺麗に入るようになるのです。
そんな訳で、Amから始まる、ギター一本での『しんみりとした歌』と激しい『ロック』との両刀使いで楽しんでいました。まるで『ジキルとハイド』の様です。

 大学に入学し、初めてトイレにしゃがみこんだ時、目の前に『髪をのばし、ジーンズを履いて、フォークギターを持って反戦歌を歌う あ〜これが青春』と落書きがしてあったことを鮮明に記憶しています。
確か、大学に入った翌年だったと思います、パチンコ屋さんで、軍艦マーチに混じって、井上揚水の『心もよう』が流れてきたときは衝撃を受けました。『えっ・・これがフォーク』といった感じでした。特に『フォークとは』と限定していたわけではないのですが、それまでギター一本でポロンポロンと弾いていた私にとっては、驚きの一言でした。又、同時に吉田拓郎、チューリップ等々次々と新しいアーティストや歌が生まれてきて、フォークの全盛期を迎えるようになったわけですね。

 就職をしてから結婚するまではギターには随分お世話になりました。特に初めての東京での生活、友もなく、何よりもネックだったのは、先立つお金がない、そんな時、下宿でポロンポロンとギターを弾きフォークを歌うのが、唯一の心の癒しというか、支えだったように思います。特に私のような田舎者にとっては東京の水にどうも馴染めず、『会社を辞めてフォークの世界に飛び込みたい』と、どれほど思ったことか。とはいっても、食えないフォークシンガーではしょうがないですよね。

 そしてみなさんも多分同様だと思いますが、結婚し、会社社会に飼い慣らされていくと次第にフォークの世界から遠のき、心が落ち込んだ時などに、ポロロンと弾く程度なのですが、当然指も思うように動かず、更に若い頃に歌えていた高い声も出なくなり、カポを2フレット程度上げて歌うフォークは、一層切なくなり、次第にフォークから遠ざかって行ったように思います。

 そして還暦を迎えた一昨年、『会社の名刺を消して、一体自分に、何があるのだろう?』と考えたとき、『幼ころからず〜と続けてきたフォークかな!』って思うようになったのです。
又、3.11の大震災に遭遇し、『金も力もない私にとって、拙いフォークで世間のみなさんにお役に立てないかな』って思うというか、願うようになったのです。
ある日の通勤途中、電車から降りたフォームで、震災にかかる歌詞とメロディーがまるで天から降ってきたように、頭に浮かんできました。それから一週間程度で『祈り』という歌を作り上げました。この時から私のフォークへの回帰が始まったわけです。
それまで貯めていた小遣いで新しくギターを買ったり、録音機材を揃えたり、また録音ソフトの勉強等々始まった訳です。

 現在は、昨年の三月、会社を退職しフォークを日々の歯車の一つとし、主に歌作りに励んでいます。最初は「一、二曲でネタ切れし、後が続かないのでは・・・!その場合は以前から続けてきた古代史や小説の世界に入ろう」と思ってスタートしたのですが、なんとか今日まで続いています。気に入った歌はユーチューブに投稿し、今日までに、7曲ほどになりました。私のように作った作品を発表する機会のない人間にとって、ユーチューブへ投稿が唯一の公表手段だからです。勿論『誰かに聞いてもらえるあてなどない』のですが。但し投稿することによって自分自身の達成感にも繋がる、所謂自己満足ですね
カッコ良く表現すれば、昨年は『部屋にこもっての充電期間』だったので、今年は『少し外に出て活動しよう』と考えています。
そんな訳で本年の1月『戦うおやじの応援団・首都圏SP柏』を自らの背中を押して初めて訪問し、今回原稿を書く事になりました。
初めて参加させていただき、とてもみなさん『紳士』であること(演奏中、真剣な眼差しで聞いている)と、みなさんの『レベルが非常に高い』という印象を受けました。

 演奏は全て一人で行っています。まさに『中小企業のおやじ』そのものです。ギターは当然ですが、キーボード、ドラム(ソフト)、ハーモニカー、コーラスと一人で何役もこなします。何回も何回も歌い、何回も何回も聞いていると当然のことのように、すっかり気に入って、『悦に入って』しまうわけです。ですから今一番困っていることというか、望んでいることは、『身近な演奏仲間ができないかな!』と、そうした私の曲に対して『適切な指摘をしてくれる人がいないかな!』ということです。

 最後に投稿した歌の中でライブ等で比較的人気の高い歌は以下の通りです。時間があったらぜひ聞いてみてください。
1. 波上のジュピター達    http://youtu.be/fvz3SLQtbxc
2. Grace my hand      http://youtu.be/n_4E0JpAE3g
 




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