2014年4月20日
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「心の栄養」
 
(関 連太郎/1960年生/福岡)


さて・・・。突然エッセイと言われて何を書いたらいいものか?
戦う親父の応援団だから当然、仕事、家庭、音楽がキーワードになるんだろうけど困るなぁ(笑)汗。。。
皆さんの投稿を拝見すると自己紹介もしくは、いままでの経験がベースになっている投稿が多いようです。しかし皆さんの投稿を読んでいてどの方とも共通と感じている根幹の部分は、「心の栄養」だと感じています。
「心の栄養」を満たした状態で残された命の時間を大切にしたい!!!

幸せは、人それぞれのものさしがあり、感じるものが異なり共通の幸せを共感しようとすると無理がでてきます。
幸せとは、幸せというものがある訳ではなく「一瞬一瞬のひととき」の満たされた気持ちが続いた状態を表現したものだと認識しています。たとえばリンゴをかじってでてきた果汁が舌に触れた瞬間やおいしい肉をほうばって噛んだ瞬間にでてくる肉汁が口の中に広がった瞬間です。仕事の喜び満足感も満たされた心が幸せの一瞬を感じるし、SEXの瞬間にも感じる方が多いと思いますがいずれにしても一瞬で短く長く続くものでは、ありません。
逆に不幸とは、痛み。。。頭の痛み、歯の痛み、肩、首、胸の痛み、背中や腰、お腹、足の痛み、そして心の痛み、親しい人との別れや親しい人の痛みや苦しみそして死。。。けっこう長く考えてしまうものでは、ないでしょうか?

では、どうやって残された時間を有意義にすごしていけばよいのでしょうか?
まず人は、どんなに文明が発達しても自分の死が訪れる時間を予測することがむずかしいもののようです。理由は、生きようとする意志があるからです。ではどうすればいいか?
僕は、「自分の死が訪れた瞬間までに生きた満足感が得られるように一瞬一瞬をすごそう!」と思いました。
その判断が「戦う親父の応援団」の参加につながった訳です。
これから先は、ほぼ皆さんの投稿と似たような内容になります。僕にできることは靴製造メーカーに勤めていた関係で普通の人より少しばかり靴の作り方に詳しい事と自分で詞を書いて曲をつけて表現できる事が少しできるだけです。
この二つ以外は、ほとんどできる(人を喜ばす)ことは、残念ながらありません(無念)。
財産、金、体力、思いやり、やさしさetc持ち合わせが少ししかありませんので他人に求められると相当困ります。
だけど僕にできる2つのことで喜んでくれる環境があれば。。。できなくなるまで続けていきたいと思っています。 




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