2014年4月13日
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『音が苦』ではなく『音がグゥ〜』
 
(ターチ/1961年生/静岡)


オヤ応に入って8年が過ぎた。40歳過ぎた頃学生時代に弾いていたギターを再び弾きだし、雑誌AERA掲載のオヤ応記事をたまたま見つけたことから始まった。
拓郎かぐや姫31年ぶりのつま恋ライブがあった2006年春にオヤ応のメンバーとなり、その秋にSP静岡が始動。そこからメンバーが増えるとともに活動も飛躍的に拡大していった。
世話役として月2回の定例会に加え、コンビニ閉店ライブ、公民館ジョイントライブ、バーベキューライブ、赤レンガ倉庫ライブ、ペガサート路上ライブ、ブラッシュアップライブ、プロ坂元氏とのフォークミーティング、おまちバルライブなどなど、私のような素人が通常味わえない体験をさせてもらい、とても感謝している。

いろんな出会いや別れがあった8年。
初めの頃は次から次へと加入してくる自分よりはるかに上手い人たちの演奏や歌に毎回打ちひしがれ、落ち込み、世話役には役不足であると感じる日々だった。
そしてライブが多くなるにつれ、世話役の私も当然レベルアップを要求され、練習や運営していくことが義務的に感じるようになっていた。
ある時、仲のいい同い年のメンバーから「『音楽』が『音が苦』」になっている」と言われ、我に返った。そういえば自分は何のためにオヤ応に入ったのか。
嫌なことは嫌と言おうと思った。それにより離れてゆく人もいたが。。。

今SP静岡に来るメンバーは「みんなでギターを弾いて歌って楽しもう」という交流指向の人がほとんどだ。準備片づけ手伝いなど自主的にやり、「お客さん」という感覚の人はいないため、私も肩の力を抜いて心から楽しむことができる。もう自分のレベルに合わないライブはやることはないだろう。

そして現在、私は人生のターニングポイントを迎えようとしている。来年勤務先が廃止され、リストラ失業者となる。1年後を思えば不安だが、残りの人生も肩の力抜いて、無理せず心のまま楽しんで生きていこうと思っている。
 

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