2015年1月31日
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「坂庭省悟『初恋』と一五一会の私」
 
(じゃっきー/1961年生/静岡)


(或る日のFacebook投稿です)
今日は1日中スケジュールを整える「内勤の日」になって、
殆ど引きこもりみたいな状態なのに心はあちこちへ…
チョト疲れた。

淡路島でMareka&Junjiのコンサートがある、というのをTLで知って、
亡くなった田頭さんのことを思ったら、急に悲しくてたまらなくなり、…

…で、どういう脈絡かわからないけれど、
YouTube始まったばかりの頃に見つけて必死で見ていたこの動画を思い出した。

最近あんまり歌っていなかったけれど、
「初恋」の歌詞のついた"Down By The Sally Gardens"、
改めて丁寧に歌っていきたいな、と思った。

初恋〜今、風の中(坂庭省吾、城田じゅんじ)

その後、この動画(再掲)を見つけたのは、確か…2008年頃だったと思う。

1990年代前半にいったん「楽器をチョークに持ち替えて」音楽からは離れて生きようとして、

でもそれは1999年の暮れにとうとう破綻して、

2000年からほとんどまる3年間引きこもりになってしまった私が、

2003年に「音楽活動から社会復帰しよう」と思い立って、
「そういえば私のルーツは」と思いだしてネットで探したのが
「ナターシャセブン」とそのメンバーたちだった。

で、その最初に見つかったのが、坂庭省悟さんの訃報だった。
「しまった、遅かった!」と思った。私はいつも「乗り遅れる」のだ…

いつも坂庭さんやナターシャのことばっかり考えていたわけではない。
でも、折に触れて思い出しては、主にネットで探してばかりいた。(リアルでは「いない」と思い込んでいた…それもどうかと思うけど)
それでもきっと「いつも気にかけていた」のだろう。

そんな中見つけたのが、この動画だった。
私は実を言えば生前の坂庭さんやその他のナターシャセブンのメンバーたちと、特別に懇意にさせていただいたことがあるわけではない。
静岡に高石ともやさんが見えて路上ライブをやった時にも、聴きに行きそびれてしまっていたくらいだった。

でも、どういうわけか、2003年以来、私の中では高石さん、坂庭さん、城田さん(この人も私が気付いた時には音楽活動ができない状態になっていた)、その他ナターシャセブンやその周囲の人たちと「早く巡り合いたい」という気持ちが強くなっていった。

昨年くらいから、その想いが殊更に強まってしまったのは、もしかしたら私の年齢がとうとう坂庭さんの没年齢と同じになってしまったからかもしれない。

とは言っても、くり返すけれど私は生前の坂庭さんをよく存じ上げているわけではない。実際にステージ上で拝見したのも、確か2回ほどでしかなかったと思う。
あとは、大学のサークルでナターシャの楽曲をいろいろコピーしたり、殆ど毎日のようにみんなで一緒に歌ってはしゃいでいただけだった。

でも、それでもう十分だった。私の中でそれらの曲はいずれも私の「ルーツ」の一部になってしまった。

こんな年になってからだけれど、ほんの少しばかり、ナターシャセブンや各メンバーの歌っていた曲が弾き語りなどで歌えるようになってきて、本当に嬉しい。

…で、自分でも一五一会で弾いてみました


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