2017年2月25日
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「私も復活組です。」
 
(サバサバ/1955年生/静岡)


遡ること7年前、2010年4月からの焼津市文化センター主催「おやじフォーク教室」に参加した事から、第2のフォーク人生が始まりました。55歳からの復活でした。

私も下手の横好きで、高校、大学と独学でフォークソングをつま弾いておりましたが、仲間と演奏したり、ましてやステージで演奏するなどの経験はないまま歳を重ねてきましたが、妻の勧めもあり教室に参加させていただきました。
演奏レベルの向上に伴い長年連れ添ってきたギターはお役御免となり、思い切って新調するなどしましたが、その積極性ゆえに教室入りを勧めてくれた妻からはあきれられたり、そればかりか今では演奏に行くにも遠慮しながらの毎日となっており、家を空ける機会が多くなったからかと反省し、家庭サービスも頑張っている今日この頃です。

現在は「おやじフォーク教室」OBが中心となり結成された「焼津フォーク村」の仲間に入れていただいております。
活動としては毎月日曜日3回程度(考えてみれば結構な頻度)のミニライブ。2~3か月に1回の公民館ライブ、年1回(不定期)程度のコンサート、他にお祭りや催事での参加など、やっぱり奥さんがちょっと不機嫌になるのも無理ないかと思われる程入れ込んでいます。その原因は、私の音楽体験が大学入学のころからロック一辺倒となり、フォーク経験は吉田拓郎のアルバム「元気です」あたりでピタッと止まっていたので、教室に入るまで「落陽」を知らなかったりだったのが、今、新たに調べるにつけ当時の多彩な名曲に驚き、感動し発見の毎日だからだと思います。

これからも奥さんとの調整をしっかり取りつつ、素晴らしい仲間と共に永く音楽に触れていければと願っております。

「苦しいことはわかってるのさ。陽気に行こう!」


 


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