2017年3月20日
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「私と音楽の関わりを紹介します」
 
(ナポレオンソロ/1952年生/兵庫)


私の家族は音楽一家で、母は子供の頃ピアノを習っていまして、独学で努力してヤマハ音楽教室のピアノと、当時人気が出始めていましたエレクトーンの講師としてかなり活躍しておりました。自宅でもピアノ教室を開き、一時はヤマハも合わせると、200人以上の生徒を教えていました。

大正生まれの父は、学生の頃、マンドリン部にいたようで、何故かギターのパートだったようです。クラッシクギターを3本ほど買い換えては、自宅で「禁じられた遊び」や、「アルファンブラの思い出」を繰り返し弾いていました。 作曲家のフランシスコ・タレガやギタリストのイェペスは、その頃知りました。

姉は、大阪音大のピアノ科出身で、今も自宅で生徒に教えています。

私は、教育熱心な母からピアノを習わされていましたが、バイエルやソナチネの段階で興味が湧かず、続きませんでした。姉が練習をするので、毎日ピアノは聞かされていましたが、そのまま遠ざかってしまいました。

私は今も、持論として、人は、それぞれに自分が好ましいと思う音色や楽器があると思っています。
同じ曲を聞いていても、ボーカルを聞いて口ずさむ人、エレキのリードギターを聞いてエアギターを弾く人、ベースの進行に心を囚われて親指をそれらしく動かす人、ドラムを聞いて手足を動かしてリズムを刻む人、その他にも、ピアノ、バイオリン、管楽器、パーカッションと、耳が選び出して聞いているように思っています。私は、特にアコースティックギターとハーモニーに心が囚われます。

学生の頃、PPM や、特にサイモンとガーファンクルは陶酔して聞いていまして、自分もこういう風にやりたいと強く感じました。大学生の頃は、気の合う友人と二人で、S&G を真似してイベントで演奏し、仲間から「サイモンとガーファンクル」と言われていました。 実力は、まったく伴っていませんでした。
その後は、クロスビー・スティルス&ナッシュが好きになりましたが、あまりにも自分とかけ離れており少し練習したりしていましたが、実現は、いまだに夢のまた夢です。

最近になって、おやじバンドに参加して、少しはその遠い夢が仲間のおかげで実現してきており、幸せです。


 


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