2018年3月24日
<エッセイ一覧へ>

「アコギとの出会いとブルーグラス」
 
(マロフィー/1964年生/神奈川)


アコギを始めたのは中学2年のとき。好きな女の子がアコギを弾いてて、これはやらなきゃと。彼女がやってた曲が入ったレコードを探しに、二俣川から横浜まで出かけて、ダイヤモンド地下街のお店で見つけたのが北山修さんの「ばあすでぃこんさあと」でした。あれからもう40年。不純な動機で始めたアコギだったけど、未だにやめられません。

高校に入って、ドックワトソンを聴いて衝撃を受け、その後クラレンスホワイト、トニーライス、ノーマンブレイク、ダンクラーリー、マークオコーナー等を次々と聴いて毎日が興奮の日々でした。並行して、ナターシャセブンとかPPMなども好んで聴いていました。

大学に入って初めてブルーグラスバンドを組みました。ギターのポストは2年上と1年上の先輩2人が居て就けず。マンドリンとベースのポストが空いていたので、僕はマンドリンに。もう一人の新入りがベースに。先輩が卒業してやっとギターが弾けると思いましたが、後輩が入らずバンド維持ができなくなりました。

社会人になって、ブルーグラスバンドは4つ経験しました。今は諸事情でバンドはやっていませんが、たまにライブハウスに出かけて演奏させてもらってます。

今思ってること。日本のブルーグラス界って今後も英語で歌っていくのでしょうかね。特に一般のお客さんを前に歌うとき。歌い手は歌詞の意味をよく理解しておらず、発音もイマイチ、お客さんも歌詞は聞き取れないけど、何となく調子がいいので手拍子。かといってナターシャセブンのコピーというのもなぁ。

日本語で一から作ったダサくない歌詞をブルーグラス独特のドライブ感で聴かせるカリスマ的なアコースティックバンドは出現しないかな、と思う今日この頃。




エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→