2019年1月16日
<エッセイ一覧へ>

「中津川の夏 2009年8月」
 
(Tomo/19--年生/千葉)


 乗客を乗せたバスは暗い夜道を中津川の街へと走っていた。右手の断崖の下は渓谷になっているようだが暗くてよく見えない。この日は「椛の湖フォークジャンボリー」が開催された。時折降りしきる雨の中、コンサートは正午に始まり夜9時には終了した。中津川のホテルに向かうため、町行きの臨時バスに乗った。バスの中でぼんやり考えていた。なんで自分はギターを弾きながら古い歌ばかりうたっているんだと、なんでだろう、わからなかった。

 2009年8月1日、岐阜県中津川市郊外の椛の湖のほとりで「椛の湖フォークジャンボリー」が開催された。60年代後期から70年代前半のフォークファンは皆知っていることだが、ここでは69年から71年にかけて全日本フォークジャンボリーという野外コンサートが開催され、たくさんのフォークシンガーや聴衆が集まった伝説の地である。残念ながら71年には途中で中止になり、その後開催されることはなかった。当時学校が夏休みに入ると、行ってみたくて落ち着かなかったが、千葉から中津川までフォークを聴きに行くような考えを持つ同級生はなく、また夜はどこで泊まるのかもよくわからず、結局行くことはかなわなかった。
 それから40年がたった2009年のある日、中津川で40年ぶりに当時の主催者の方々により、またフォークジャンボリーが開かれるという話を聞き、これは行かなければなるまいと思い、幸いその日の前後は休みが取れるので、さっそくチケットをとり、ホテルを予約した。

 その日は、以前聞いた当時の参加者たちの通った道をたどろうと、中津川郊外の坂下駅で降り、持参した折りたたみ自転車を組み立てて、会場へ向かった。参加した人の話のとおりつづら折りの坂道が現れた。40年前は泥んこ道だったそうだが、今はきれいに舗装されていた。汗びっしょりになりやっと坂道を上り終え、会場への案内板にしたがいしばらく走ると、空に向かい高く掲げたのぼり旗が見えた。胸が高鳴った。会場へ着くとそこは40年前に何万人も集まったとは思えない、湖に面した思いのほか小さな原っぱだった。聞くところによると築山を作ったりして、前より小さな広場になったそうだ。

正午、会場に「友よ」の歌が流れ、コンサートの口火が切られた。昔と同じようにメインステージと、アマチュア参加者によるサブステージとでたくさんのフォークがうたわれ、演奏された、メインステージでは懐かしい歌が、サブステージでは主に今の歌がうたわれた。また会場には40年前のコンサートの記録を収めた展示室も開設された。あがた森魚、五つの赤い風船、遠藤賢司、加川良、中川イサト、中川五郎、なぎら健壱、猫、早川義夫、等々が出演し、最後はコンサートを作った人たちによりしめられ、聴衆はあの頃の気分に戻って感慨深い気持ちになった。

 ふと気づくとバスはもう中津川の街の明かりの中を走っていた。同時にそれまでの問いへの答えが出た。なんで古い歌ばかりうたうのか、うたいたい歌をうたうんだ。それが答えだとわかった、それが答えなんだと。   



追伸;今年は50周年。なにかあるのかな、、、。




エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→