2005年1月7日
<エッセイ一覧へ>

「最後はD-50DX??」
 
(D-times/49歳/兵庫)
 

初めてギターを手にしたのが中二の秋。親父に買ってもらった3000円のガットギター。もうギターのメーカーすら覚えていませんが、自分専用のギターを手にしたときの喜びは、今でもはっきりと覚えています。ガットギターが欲しかったのは、当時流行っていた演歌の弾き語りに憧れていたからで、港町ブルースなんかを聴き覚えで弾いていました。

それが高校に入学後、突如フォークソングに大転換。高校を卒業するまで高田渡やシバなんかを好んで聞き、歌っていた時代でした。この頃は既にガットギターは、構造を知るために分解してしまい、主にヤマハFGとアリアを使っていました。

普通大体このあたりで、自分が一生付き合う音楽が決まるのかと思っていましたが、その後又もや大転換。演歌からフォークの時ほどではないですが、22歳の時にブルーグラスとの付き合いが始まりました。当時、ブルーグラスをやっている人は高校か大学で始めるパターンが多かったと思いますが、私の場合はかなり遅めでした。

面白いことに、始めて聞いたブルーグラスはただ単に煩く感じただけでしたが、その後一年ほどたって聞いたときにすごい衝撃を覚え、一生付き合える音楽はこれだ!と感じたのです。(多分、初めて聞いたときは麻雀の真っ最中だったので、うるさく感じたのでしょう)

実はこの頃、神戸でライブハウスを経営しており、個人的な練習は店を閉めてから。バンドは、日曜の定休日を利用して練習することが出来たため、練習場所の少ない人から見れば、結構恵まれていたと思います。(その店は5年で閉めてしまい、今はカントリーの店に変わっています)

この頃はヤマハのL31Aを使っていましたが、その当時はそれほどマーチンに執着しておらず、神戸元町の楽器店にギターを買いに行った時に、あえてL31Aを選んだ記憶があります。このギターもなかなか良いギターでしたが、結局ブルーグラスには向かない事がジレンマになり、手放しました。

マーチンとの出会いはこの後、26歳頃のことになりますが、結局、最初に手にしたマーチンはD-35でした。たまたま特値で販売していたと言う理由で購入しましたが、ブルーグラスをやっていながら何故、すんなりD-28にならないのか?多分ここらが天邪鬼と言われる所以だと思います。考えればずいぶん遠回りをしたものです。

そのD-35はライブの帰り道、車にはねられ再起不能。弁償金でHD-28に変身しましたが、これが今一音に納得できず、1年ほどで人手にわたりました。
それが今から15年ほど前のことでしたが、このときにD-28('57)を購入したことがきっかけになり、ギター蒐集が始まりました。

購入履歴は、Gibson SJ200 Tailor812C Martin 00-42('30) D-45CFMハカランダ(1996) D-28-12 D-35('66) D-50DX 等ですが、現在、手元にはD-28、D-35、D-50DXの3台だけが残っています。
D-50を買った時には多分、これで終わりと思っていましたが、最近又もや触手がうごめきそうなギターが発表されて、悶々としています。

なかなか病気は治りそうに無いですが、これ以上は流石に家族の手前、ちょっと無理ですね(^^)

尚、その間もずっとブルーグラスをやっていましたが、一時期、もとのフォークソングに戻り、今はブルーグラスとフォークソングの二本立てで演奏しています。
バンドは今年の夏で28周年になりますが、今後も体力の続く限りやって行きたいですね。

それと、15年ほど続けている春の宴会キャンプも、出来る限り継続したいと思います。いつも三田アスレチックでゴールデンウイークにやっていますので、良かったらのぞきに来て下さい。

 
エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→