2008年1月28日(文章差し替え)
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セピア色の教室
 
(チャプッリン竹丸/1957年生/愛知)



 2004年の6月に、ヤフーに最初のグループを作ったのが、20数年ぶりの音楽活動のスタートでした。名古屋から豊橋に活動場所を変えて早2年。去年は、部員の出入りもなく、落ち着いて演奏を楽しめる事が出来、ようやく軌道に乗った気がします。

 人は、行動して行く中で、本当に自分がしたいことが、見つかると言いますが、この3年半が、正に私にとってのそれだっだったように、思えます。

 50名近い人とネットでやりとりし、実際にも約20名の方とお会いし、影響されやすい私は、何度も考え方が変わり、迷いました。
 飲んで音楽の話をしていれば楽しく、親睦会的要素が強い集まりにしたいと思ったこともありました。洋楽を演奏した時期もありますし、プロ崩れの方の話を聞けば、上手なバンドを作りたいと思い、やるからには、人前でやらねば、とも考えた事がありました。

 今、倶楽部で何が一番気持ち良い瞬間かというと、部員全員が大好きな唄を歌っている瞬間です。みんなが同じ気持ちになって、その1曲の歌の世界に酔っている瞬間は至福の瞬間です。贔屓の野球チームが優勝し、誰かまわず抱き合って、喜ぶあの瞬間にも似にているかもしれません。
 
 私は、高校の文化祭を皮切りに、27歳ぐらいまでバンドに狂いましたが、音楽に目覚めさせてくれたのは、拓郎です。中学生の頃、放課の時間に一冊の歌本を囲んで覚えたての安物のギターを弾き、みんなと歌った想い出。遠い昔、音楽が新鮮に感じられ夢中になった記憶を、自分は再現したかったんだ、自分が本当に欲しかったものは、これだったんだと、歌っている瞬間に思うのです。

 月に一度、地区市民館の殺風景な会議室は、4時間だけセピア色の教室に変わるのです。  

 
 
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