2013年3月10日
<エッセイ一覧へ>

「下手糞で良いのです・・・」
 
(馬之助/1961年生/愛媛)


ギターは良い音であることに越したことはない。
基本的に良い音のギターは高価である。
良い音のギターでも下手糞に弾けば、聞いてる人はトータル的に良いとは感じないだろう。
ギターの演奏が上手い人は、安物の陳腐な音のギターであっても、聞いてる人はトータル的に良いと感じるだろう。
私は、自分が作詞・作曲したものを歌っているわけだが、ギターが上手いとか、歌が上手いとか、ギターが良い音するとか、良い声をしてるとか、そんなところを聞いて欲しいわけじゃない。
自分の歌を聞いて欲しいわけである。
ギターは安物で下手だし、歌も下手だけど、私が伝えたいのは、私の歌なのである。
弾き語りで伝えるところは、弾き語る人という人間を伝えることができるかできないかなのではないかと思う。
ギターも歌も下手糞であっても、魂が伝わるアーティストもいる。
このタイプは、特にアマチュアに多い。
トータル的完成度が低いことから商品にはならないのかも知れないが、人の心を揺さぶることができる。
これは、視覚と聴覚、そしてその人が放つオーラなんかが必要とされるのだろが、CDにこれを記録させるのは難しいだろう。
そんなことを考えながら、弾き語りを始めて7年が経った。
ギターと歌だけで、一人で音楽を伝えるという簡単でありながら難しい演奏形態は、非常に奥が深い。
自己満足なのか、聞いてる人を満足させたいのかが最初の分かれ目となるのだろう。
自己満足は、自分が満足できればいいことで、周囲を満足させるためには、それなりに努力も必要であり、自分自身を磨く必要もある。
ギターも歌も上手くならない今、人の心を揺さぶれる歌を歌えるようにしたい。
これほど無謀な夢はないのだろうな・・・





エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→