2014年6月27日
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「ギターと出会い いつまでもオヤ応と」
 
(風_21/1953年生/北海道)


ギターとの出会いは
たしか、16才の頃だったと記憶している。
友達の家へ遊びに行った時
友達の兄がガットギターを持っていた。
「あまり使わないのなら譲ってくれる?」と聞いた
「ああイイよ」と云ってくれたので
バイトのお金を工面し手に入れた。
500円程度だったと記憶している。

それからは夢中だった。
フォークソング雑誌を購入しコードを目で追いかけ
弾いて、唄った。
当時の我家は狭く、姉妹と4人が1つの部屋だった。
今考えると、誰も文句も言わなかった。

高校の卒業式前日
悪友と学校のステージでライブをやった。
借物だったが、フォークギターとの出会いだ。
大阪万博について講釈しながら
「もずが枯れ木で」「お父帰れや」「悩み多き者よ」
「戦争を知らない子供たち」を唄った。
思い起こすと若さが満開で新鮮だった。
今の原点のような気がする。

20才になり
フォークギターを月賦で購入。
メーカも、型体も、弦の種類も何も考えていなかった。
とにかく弾き唄った。

その後、結婚、子供ができ、仕事も忙しくなり
当然、ギターとは疎縁になった。

そうして、現在へ

当時の新鮮さを思い出しながら
42年前の「タカミネ(後で判った)」に
LIGHT弦を張り
横に置き
今バージョンの「悩み多き者よ」を唄っている。

いつまでも若く
単に老いる事にならないよう
オヤ応で全国のみなさんと
楽しんで生活していきたい。

そう考えている。




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