2014年10月16日
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「アコギと素敵な方々との出会いに感謝」
 
(TAMAKI/1957年生/沖縄)


入会して間もなく、それもギター暦が短い私に、山下団長(何処かのヤクザの親分のような名前です・・失礼しました)からリレー執筆の依頼がありました。頼まれたら断れない優柔不断な性格のためアコギと出会えた喜びやその繋がりで知り合えた素敵な方々について書いてみたいと思います。

 高校までは兄や姉の影響で、岡林信康、吉田拓郎、五つの赤い風船、荒井由実、ハイファイセット、井上陽水など様々な曲を聴いていましたし、学校に行けば誰かがアコギを持っていて弾かせて貰ったりしていました。本格的にアコギや音楽をしたことはありませんでした。
その後予備校、大学、卒業後は外科医となり音楽を聴く機会はありませんでした。30年近く飲みにも行かず、ゴルフをするわけでもなく、朝から夜まで仕事中心の生活。 次第に役職に就くようになると、孤独感を味わうこともありました。
 私は未熟なので孔子の様に「40にして惑わず」では無くて、50を過ぎてますます迷いが深くなり、「50にして天命を知る」など更に程遠く、情けなくもあります。 迷いの中で必死に答えを見つけようと努力するも、全く解決の糸口さえ見えない時もあるのです。
 ある些細な言葉が人生を変えるような出来事の始まりでした。ピアノをやっていた息子が「ギターもいいよね」と言ったのです。何故かその時反応した私はその日のうちに息子と一緒に2万円のギターを買ってきたのです。息子のギターをその夜に借りて、弾いてみたのです。本を見てCコードを押さえてポロリ・・・なんか自分で音を出していて気持ちがいいのです。次の日はAmを押さえてポロリ・・・やはり気持ちいいのです。そしてもうギター虜となってしまったのです。
 家族はまさかオヤジが突然ギターや唄を始めるなんて想像も出来ず呆れたようです。うるさいと小言を言われながらも続けるうちに、耐性が出来たのか諦めたのか、一応認知されるようになりました。
 アコギの弦は硬く、押さえると指は痛く、スムーズに音は出ないのです。 
全くの素人にとってはギターのコードを覚えて、必死で弦を押さえながら、更に詞を読みながら、歌うとなると、五十半ばのオヤジにとっては、オリンピック選手がE難度F難度の技をこなすのと同じぐらい大変な訳です(^-^;。
 ギターを弾き、歌詞を見て、唄うとなると私の頭ではこれ以上の処理が不可能となり、他のことを考える余裕が無くなってしまうのです。 
 こんな時、一日中悩み続けて、頭から離れなかったことが、歌っている3~4分の間、消え去ってしまいます。頭の中が空っぽの状態になっていて、心がスーと軽くなるのを経験したのです。
 毎夜、音の漏れないクロゼットの中で家族に気を遣いながら、ギターの弾き語り。ギターを始めた6年前、中年でアコギを弾いているのは自分だけだろうと思っていました(今思えば恥ずかしい限りです)。
 ネットでアコギをやっているライブハウス(?)を見つけるも、この様な世界は未知の世界で、このお店に入るまでに3~4ヶ月かかりました。意を決して入ったお店で、戦うオヤジの応援団のメンバーに出会いました。私の様な方もいるから心配しないでと、沢山のギター仲間を紹介してくれました。医療界の狭い世界しか知らなかった自分にとって、それは広い世界を見る機会となりました。 皆様と同じようにギターについて語るには知識も経験も無いのですが、ギターを始めたお陰で音楽の楽しさと素敵な方々との出会いに感謝しています。

 稚拙ですが、二年前よりブログを初めてみました。医療や社会のこと、生け花やアコギのことなどを書いています。よろしければ覗いて下さい。(おもろまちMCのブログ http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/ You-tubeにもギター弾き語りを載せて見ました「MC omoromachi」で検索されて下さい。ミスタッチが多いのですが初心者ですのでお許し下さい)





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