2010年8月25日
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「コミュニティ」
 
(大ハーン/1956年生/千葉)


町ですれ違えば、普通のおじさんやおばさんなのに、ギターケースを持っている。違和感がある。エコバックにスーパーで買い込んだ食材を抱えている姿が、ぴったりなのに。
その足は、公民館の視聴覚室に入っていく。そこには、有志が立ち上げたフォークソングサークルがあった。設立して10年。40年以上も前にギターに夢中だった者。若い頃を思い出す者。昔から憧れのギターを弾けるように勇気を振り絞って一歩踏み出した者などがいる。アラ還の男女を中心に集まって練習している。僕はいつの間にか、このサークルに加わり、楽しんでいた。

ある日、図書館に行く用事があり、お知らせコーナーに「出演者募集」のチラシがあった。何かと思うと、地元でフォークライブを行うので出演者を募集しているというのだ。
これが転機になった。今まで地元の方々と触れ合っていなかっただけに、心の中でためらいがあった。
話を聞いてみると、ライブの打ち合わせがあるので、一度様子を見に来てください、という誘いを受けた。「ライブ」という言葉に魅かれ、公民館の会議室の前までギターを持っていった。もしかしたら、打ち合わせの前後に、何かあるのかと思ったが、そんな様子はどこにもない。ギターを持っていったことが恥ずかしいような気がした。
入り口近くでためらい、やはり参加するのは止めようと背を見せた時、会議室の中から帰ろうとする僕を呼び止める者がいた。ギターケースを持っていたので、会合に参加するために来た、と思うのは明白だ。
それは地元で音楽活動する団体の会合だった。10年前に発足したサークルとは違う、市内全体のバンド活動を統括する団体だった。リーダーシップをとるのは女性たち。20年前からバンド活動を続けているという。みんなで音楽を通して絆を広げ、楽しく盛り上げていこうよ、という趣旨の団体だ。その会合で話し合われたライブには参加できなかったが、少しずつ地元の方々を知った。

僕はフォークソングサークルに入会し、初心者のオジサン、オバサンもいるユニットで、楽しいセッションをした。3カ月に一度のサークル主催のライブに参加したり、繋がりで地元商店街のライブにも出演した。ボランタリーとして福祉施設でのお祭りにも参加し、ギターを弾いて歌った。
今までの人生で、こうした活動に参加するなんて考えられなかった。せいぜい10年に一度順番で回ってくる町内会の班長になり、地元の活動に参加するだけだった。ところが今では好きなフォークソングを通して、地元で活動するようになった。
サークルには、還暦を10年以上前に過ぎた元英語教師の女性が、新しい挑戦としてビートルズを歌えるようになりたい、と必死にギターの練習をしている。そんな方々の中にいると、自分がリタイアした後のコミュニケーションの楽しみだけでなく、新たなことに挑戦する姿勢の美しさを感じたいと思った。
ギターを初めて手にしてから40年が過ぎた。その殆どの期間、ギターとは疎遠になっていたけれど、応援団に参加して熱が入った。ギターも、高校時代に買った思い出のギターを始め、初めてのマーチン、初めてのギブソン。二本目のマーチンとギブソンなど様々なギターが近付いてくれた。
「こんにちは。よかったら家に寄って行かないか。お茶でも飲もうよ」そう声をかけて、いつの間にか家の住人になった。

人の人生なんて分かりやすい。5年後は何歳で、会社を定年になり、その時、子供はいくつでどうしてる。年金はいつから支給されるとか、早ければ何年後には孫ができるとか。簡単な予想がたてられる。その通りいくかどうかは分からないが、大凡はその通りにいくだろう。そう思うと、年をとる寂しくなり、行動範囲も狭くなっていく。会社から離れると、人との接触も減る。そういう事態は必ずくるのだから、同じような趣味で楽しんでいる人が近くにいれば、その仲間に加わった方がもっと楽しいかもしれない。
そう思うと、地元の人々と大好きなギターと音楽の楽しみを、今からでももっと綿密に繋いでいきたいと思った。
 
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