2012年9月20日
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「選曲の移り変わり」
 
(Mine/1953年生/千葉)


 前回この欄に投稿したのは7年ほど前になります。その頃は、人様の前で弾き語りを行う時はいつも非常に緊張していました。「オヤ応」のストリートコンサートやいくつかのSPのミニライブなどを経験することにより今ではあまり緊張することはなくなりました(ギター演奏はほとんど進歩していませんが)。おそらく「オヤ応」という組織がなければ今日までこうした形で持続できなかったでしょう。まさに、この組織は私にとって「応援団」そのものです。感謝しています。

 さて、本題に入ります。私は、吉田拓郎氏の曲が好きです。これまで、人様の前では拓郎氏の曲以外はほとんど唄ったことがありません(「されど私の人生」と「ファイト!」を除いて)。当初は、「イメージの詩」、「親切」、「私は狂っている」、「おろかなるひとり言」など自問自答的な曲を選んでいました。フォークソングとはそういうものだと思っていたのでしょうか?固定観念に縛られていたのでしょうか?そういう体裁をつけていたのでしょうか?

 時は少しずつ流れ、この頃では「流星」、「言葉」、「春を待つ手紙」、「冷たい雨が降っている」などが恥ずかしさや抵抗感もなく唄えるようになってきました。歳を取りすぎて照れがなくなったのでしょうか?開き直って何でもありになったのでしょうか?自然体になったのでしょうか?

 今、拓郎氏のレコード・CD化されていないライブのみで唄われていた曲、例えば「僕の一番好きな唄は」、「この次はこの街で」などを詞の一部を替えたり、挿入曲を替えたりして唄っています。数年後はどんな選曲をしているのか楽しみです(生きていればの話ですが)。あの世へ行く時に唄う曲は「イメージの詩」だと思います。「イメージの詩」は私の「般若心経」のようなものですから。
  
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