2014年8月20日
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「心のありったけを唄う」
 
(はれ/1942年生/埼玉)


60歳で定年退職し、家でゴロゴロしていたお陰で、危うく粗大ごみとして捨てられる寸前、これでは拙い、何かやった方がお互いの為。若い頃弾いていた、Yamaha FG-350 を押入れから、引っ張り出して弾き始めました。

20代の時、ギターを弾きたくなって、三鷹にあったギター教室に通い始め、先生にカントリーが好きだと話したら、それじゃーとバンドに入れてもらったのがきっかけでした。

最初に買ったギターは、どこの物とも判らない重たいことしか印象にないギターもどきでしたが、やがてベンチャーズが一世を風靡し、バンドも会社の圧力にあえなく、解散の憂き目に。(そのころは、会社は組合が出来る事を、極端に嫌い、社員が集まって何かする事を警戒して、少しでもそお言う情報が入ると直ぐに、圧力が掛かりましたね。)

その後、フォークソングがアメリカから入ってきて、ジョーン・バエズが来日しその美声に感動したものです。(因みに前座は森山良子だったような?)
その頃、テレビでもアマチュア・フォークの大会等が放映され、中でも「花はどこへ行った」を、何処かの若者が声を張り上げ、叫ぶように唄った様子が其れまでのキングストン・トリオ、ブラフォー等のフォークと全く違う唄い方で、衝撃でした。(私は、あれは「吉田拓郎」だったのではと、今でも思っております)

で、退職後63歳の時、再び唄うことに喜びを覚え、そして人前で歌うことが楽しくやりがいになってしまいました。最初は唯この歌を唄いたい、そして人に聞いてもらえれば、尚更嬉しい。それだけでした。

英語のカントリーミュージックを、下手な発音で唄っておりましたが、自分は日本語に訳して唄おうと決めるきっかけになったのが、Guy Clarkというカントリー系のシンガーソング・ライターが歌った、「Desperado Waiting For A Train」という曲で、その詩の素晴らしさにどうしても、日本語で唄い多くの人に聞いてもらいたい、と思ったのがきっかけです。

私も今年で73歳となり、毎年初めにもしかしたら、今年で歌はもう唄えなくなるかも知れないという恐怖感に近い物があり、それだから尚更今日という日を、あるいはこのライブを、この一曲を、この瞬間を大事にして生きようと、努力しています。

アメリカの作家にドロシー・ホルストマンという女性が居て、この人が書いた本に「カントリー・ボーイよ、ハートのありったけを込めて歌いなさい」というのがあります。1975年の出版でした。

ライブで唄う時は勿論、練習する時も、この言葉を肝に銘じ、「魂のありったけをこめて」唄うことが、この後どのくらい出来るのか判りませんが、一人でも私の歌を聴いて頂ける人がいる限り、体力が続く限り唄って生きたいと思っています。

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